ちなみにこの記事で2243記事目です。いっぱい書いてきたね。

でも、全く書くことがなくなったからブログを止める...という未来は、自分にとってはあんまり想像できないな、と思ったのです。
これだけ書いていると、そのうち書きたいことが尽きて書けなくなってくるのでは...?という疑問がふと湧いたので、それについて考えてみました。
ふむ...( 'ω')
〜シンキングタイム〜
...うん。
多分一生書いてるだろうな。
生きている限り、何らかのイベントが発生し続けます。
そして、それに伴っていろんなことを感じ、考えるでしょう。
それら全てがネタになるので、書くことが尽きるということはないのでは?と思ったのです。
もちろん、こんな感じで低速モードの時期もあります。

ブログが書けない時期の自分の法則と考え方
ブログが書けない時期の自分の行動パターンを分析してみた日記です。
書くことを尽きさせないために
「書かないと/書いてはいけない」の制限を外す
「書くことが尽きた」からブログが書けない、という言葉は、もう少し正確に言うなら「書いてもいいと思える範囲の中にあるネタの中で、書くことが尽きた」と言えるのではないかな。
時々、「ブログに何を書いたらいいのかわからない」「書くネタがない」という相談を受けることがあるのですが、自分の体験と、そこから感じた・思った・気づいたことを書いていけばいいと思います。
うーん、マジでシンプル。
なぜそれが難しいのか?と言えば、そこにハードルがあるからではないでしょうか。
たとえば、
・読みにくい文章を書いちゃいけない
・自分の活動と関係ないことは書いちゃいけない
・誰かの役に立つような情報でないと載せちゃいけない
・面白くないといけない
・人に変だと思われそうなことは書いちゃいけない
・自分の強い意見・思想の強い主張はあまり出しちゃいけない
...
などなど、「書かないと/書いてはいけない」が多ければ多いほど、ストライクゾーンが狭まって、書くことが尽きていくように感じます。
私も、それで全然書けなくなって苦しんでた時期はありました。
いーんだよ何書いたって。
「ブログ法」みたいな決まった法律で書くべきことが定められてるわけではなし。
もちろん、読まれるブログのお作法的なものはある程度あります。
タイトルの工夫とか、SEOとか、文章の間の取り方とか。
が、そこに縛られて、言いたいことを何も言えなくなってしまうくらいなら、まずは何も気にしなくていいと思います。
書いて発信することに慣れてきて、その上でやってみたかったらすればいいだけのことだから。
自分のための「固定化」を意図する
私にとってブログを書くことには、固定化の意味があります。
ふと湧いた思考、素晴らしい経験、揺れ動く感情...それらを瞬間的に固定し、保存する行為。
それが副次的に誰かの役に立ったらいいな、という思いもあるので、プライベートでアナログな日記ではなく、全公開する形でブログという手段を取っています。
発見や気づきを言語化して固定化すれば、再現性のあるロジックになります。
つまり、また似たようなことで繰り返し悩んだ時に、その手法を使えるということ。
その際、上手に抽象化・汎化できれば、そのロジックは自分だけでなく、他の人に渡して使ってもらうこともできちゃいます。
また、楽しかった体験や嬉しかった気持ちを言語化して固定化すれば、読み返して何度でも味わうことができます。
写真だけ見てパッと思い出せないことでも、その時にどこでどんな風に過ごして、どう感じたかを自分の言葉で添えてあれば、より鮮明に思い出せるでしょう。
まぁ、何が言いたいかと言えば、自分の中にあるものを言語化して固定化するのって、メリットがいっぱいあるよ!ってことです。
誰かのためにもあるけど、まず一番は自分のために。
切り取って保存された言葉は、未来の自分を助けたり、喜ばせたりしてくれるのです。
まとめ
「書かないと/書いてはいけない」を緩めていくことで、割と好き勝手ブログを書いていけるようになりましたし、ネタ切れの恐怖に怯えることもなくなりました。
だって、生きていれば言いたいことは湧いてくるんだもの。
そして、それが自分の糧となり、ついでに誰かの糧にもなる、と思えたら、書くことがどんどん楽しくなっていきます。
というわけで、みんなも一緒にブログ書こ!٩( 'ω' )و
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