ここ最近、個人プロジェクトの中で、なかなか思うように進まないタイミングがあり、ちょっとやきもきしていました。

最終的にはいい感じに進み始めたのですが、その際に、
  • サクサク進まなかったことで、話し合いの時間を持つことができた。

    うっすら感じていた疑問や不安を解消できたから、むしろプロジェクトを安心して進められる方向に転がってよかった
と感じたのですよね。



上手に流れに乗るための考え方


物事がうまく進まない時、不安になったり、焦ったりすることはよくあります。
本当よくあります。というかいつもそう。

でもそういう時って、大抵目先のことしか見えていなくて、視野が狭くなっていることが多いんですよね。


自分の頭で考える範囲の最善が、最善とは限りません。

うまく進まず、思った通りにいかずにモヤモヤしたとしても、もうちょっと大局的・長期的な視点で見れば、むしろその時に「うまく、思った通り」に行ってなくてよかったな、と感じることがよくあるのです。


何が言いたいか?
流れをもっと信頼しても大丈夫ってことです。


物事、進む時は本当にトントン拍子に進んで、進まない時はびっくりするくらいに進まないものです。

異常な速さで進むのが怖くて、流速をゆるめようとコントロールを試みたり、
進まないことにイライラして、なんとか流れを作ろうとしたりすることがありますが、それは逆

進む時はそのままどんどこ進みつつ、
進まない時は進まない様子をただ見守りつつ、
いずれの場合も、今の自分にできることを淡々とやるというのがベストなのではないかと思います。


...って、そんな悟り開き切ったスタンスで現実と向き合えたらいいんだけど!!ね!!!
ジタバタするよにんげんだもの!!!ね!!!





流れと言えば、最初はうまいこと進みそうな流れが来ていると感じていたのに、突然はしごを外されたように止まってしまうこともあります。

例えば、人から「こんなことを一緒にしませんか?」とお誘いされて、元気よく進めようとしたら、突然その人が音信不通になってしまったとか。
あるいは、これはまさに自分にぴったりだ!と思ってプロジェクトに参加してみたけれど、雲行きが怪しくなって、頓挫してしまったとか。
ちょっと戸惑ったり、がっかりしたりするよね。


そんな時私は、「この出来事はチャッカマンだったんだな...」と思うようにしています。

どういうことか?
この出来事は、自分の中に眠っていたやる気に火をつけてくれるためだけに出現した、と認識するということ。


外界に感化されて動き出し始めたということは、自分の中にその種があったわけです。1mmも興味が無いのなら、人は動き始めません。

ということで、その出来事は、自分の中に"それ"をやってみたいという思いがあったんだな、と確認するきっかけイベントとして使えると思うのです。


せっかく火がついたやる気を、止まってしまったからそこで終わりだと鎮火してしまうのは、少しだけもったいないかな。
その出来事だけに執着しすぎず、灯ったやる気の火をどこかに転用できないだろうか、と考えてみると、新たな流れを掴みやすくなるのかな、と感じます。



まとめ

流れは、コントロールしようとするのでなく、今、動くべきか止まるべきかを見極めながら乗りこなしていく、とスタンスがいいのかもしれません。

まぁ、ついつい焦ったり、心配したりしてしまうのも本当よくわかるけれど。
ジタバタしなければ、常に最善に向かって流れていくのではないではないかな。どうだろう。