時々、謎に寂しくなることがあります。特に夕方あたり。
何か大きな問題があったわけでも、ひとりぼっちというわけでもないのに、なんだかな。
でも、そんな中でふと、「そうだ、家に帰ったら、朝思いついたネタをブログ書こう!」と思い立って、元気が湧いてきたのです。
なぜ、ブログを書くことが気分を上向きにしてくれたんだろう?
理由は二つあると思います。
まず、書くことは自分と繋がる行為だから。
そして、人と繋がる行為だから。
書くことで自分と繋がる
以前、こちらの本を読みました。
筆者は本書の中で、「自分とのつながり」を「自分の心(感情)と意識(思考)とのつながり」と定義して、人はなぜ寂しさを感じるのかを以下のように説明しています。
私たちは人間関係のなかで孤独感を感じ、寂しさを覚えます。そうすると「人とのつながりが切れたから寂しさを感じる」と思いがちなのですが、実はそうではありません。結論から言えば「自分とのつながりが切れたときに人は寂しさを感じ、孤独になる」のです。
自分とのつながりが切れると、それが周りに投影されます。すると、他の人とのつながりも切れてしまったように見えるのです。 そして、自分が一人ぼっちで、取り残されたような気持ちになります。 それが「孤独感」と言えるもので、そのとき、人は「寂しい」と感じるのです。(中略)その欲求は他人に満たしてもらおうとするものです。しかし、仮に誰かがあなたに手を差し伸べてくれて、話をゆっくり聴いてくれたとしても、そのときあなたが「自分の心とのつながり」を取り戻していなければ「寂しさ」は消えません。それこそ「話を聴いてもらったのに寂しさが消えない」と、ますます悩むことになるでしょう。
つまり、他の人があなたの話を聴いてくれたとしても、あなたが自分の心ではなく、他人に意識を向けていたとするならば、その寂しさは一向に消えないのです。 しかし、その仕組みを理解していないと、ますます他人に何とかしてもらいたい気持ちが出てきて、どんどん自分とのつながりが切れてしまうようになります(つまり、本来寂しさを癒す方法とは逆方向にいってしまうんですね)。
初めて読んだ時、この考え方が、目から鱗だったのです。
そうか。寂しさは外側の原因からで生まれているのでなく、自分の世界の見方から生まれているのか。
人になんとか埋めてもらおうとじたばたしなくても、自分とつながり直す手段はさまざまにあるんだから、大丈夫だ。
そう気づいて、だんだん寂しさを感じても、飲まれにくくなっていったのです。
で、冒頭の話に戻ります。
ブログを書こうとして元気が出てきた瞬間、この寂しさの定義をふと思い出したのです。
ブログを書くことは、自分の体験したことや内観したことを整理し、表現する行為だから、まさに「自分とつながり直す」ために有効な一手段なんだ、と気づいたのです。
なるほど、だからブログを書くと決めただけで、「私は私とつながり直す時間を取るぞ」という自分への表明になって元気が出てきたんだね。
書くことで人と繋がる
でも同時に、同じことで悩んだり、困ったりしている人に届けばいいな、という思いも込めて、なるべくわかりやすく書くようにしています。
句読点の打ち方や言葉の選定、リズムなどなどなど、結構いっぱい考えて書いているのだ(๑╹ω╹๑ )
先ほどの本の中には、以下のような文があります。
「与える」というのは、「相手が喜ぶことをして自分もうれしい」ということで、自分からつながりを作っていくことができます。
読み手のことを考えながら、伝えるための文章を綴る行為って、まさに与える行為なんですよね。
恐らく90%以上の読者さんは顔も名前も知らない人なのですが、読んで喜んでくださっている(かも)という思いが、つながりを生み出してくれているのだな、と感じます。
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