私、この人よりすごい!
というところに価値を置くと、
私、あの人よりはすごくない....というダメージを受けます。

私、この人より評価されてる!
というところに価値を置くと、
私、あの人よりは評価されていない...というダメージを受けます。


何が言いたいかと言うと、

誰かと比較して優れている!という喜びを味わうと、誰かと比較して劣っている...という苦しみも同時に味わうということです。

優越感の喜びだけを味わうことはできないんだよね。裏表なので。


でも、この比較の喜びをつい求めちゃう気持ちはめちゃくちゃわかります。



どうしたらいいのか


まず優越感の喜びと、劣等感の苦しみをとことん味わい尽くすことじゃないかなと思います。

有頂天になったり、どん底になったり、ブンブン振り回されてもう嫌なんよ...という気持ちになれたら、振り回されないための選択を取りやすくなります。

中途半端な優越感で喜ぶから、物足りなくて手放せないし、
中途半端な劣等感で落ち込むから、諦めきれなくて手放せない

どっちかが足りないこともあれば、どっちも足りないこともあります。




かつて私は、優越感と劣等感を思いっきり味わい尽くす体験をやってみたことがあります。


あるタイミングで優越感を覚えた時に、比較相手(=この人に勝ったもんね、と得意げな気持ちが湧く相手)に対して、

  • ざまぁ見ろ!私はこーんなにすごいの!あなたなんかとは違うのよ!

みたいな感じで(何十倍か口悪く)、めちゃくちゃ相手を煽りまくるような、勝って嬉しい気持ちをひたすらノートに綴りました。


また、劣等感を覚えた時に、比較相手(=この人に負けた、羨ましい、妬ましいという思いが湧く相手)に対して、

  • はぁ〜?超ムカつくんですけど?なんでこの私が、あなたなんかに負けなきゃいけないの?悔しい悔しい悔しい......

みたいな感じで(やっぱり何十倍か口悪く)、めちゃくちゃ相手を罵倒するような、負けて悔しい気持ちを、ひたすらノートに綴りました。

名付けて、花いちもんめ大作戦。今命名した。

大事なのは、手加減なしで煽り、罵倒し、さんざん汚い言葉で綴ることです(それは人にそのままぶつけないようにね。一人で、ノートにぶつけるんです)。


...えっ、影織って性格悪いと思った?笑
誰だって、少なからずそういう「汚い」気持ちは持ってるんです(そして本当は、そこにキレイも汚いもないんだよな)。
でもいい人でありたいからと、その「汚い」部分を抑圧して、見ないふりをするから、いつまでもズルズルと優越感と劣等感に振り回され続けるんです。

そういう気持ちが湧いていてもいいんだよ。


心の中に思いが湧くプロセスは、コントロールできません。
でも、湧いた思いをどういう行動として表すかは選択できます。

優越感や劣等感のままに行動して相手にぶつけるのか、ただ黙々とノートに綴って昇華させるのか、そんな自分の気持ちを否定して見ないようにするのか。

個人的には、こうして書いて、最後に破り捨てるのがおすすめです。
ちなみに私は、破った後にシンクで燃やしました。念入り。


で、さんざん書いたらスッキリしたのです。

勝って嬉しい気持ちも、負けて悔しい気持ちも、書き散らかすうちに「あ、別にそんなにこだわらなくてもいいか...」という気持ちに変わっていきました。

シンプルに言えば、優劣に対してガタガタ言うことに飽きたのです。




今でも時々、突発的に優越感や劣等感が湧き上がることがあります。


そんな時は、

「あ、今なんか湧いたな。執着してもつまらんから、やめよやめよ」

即座にキャンセルするようにしています。そして、目の前の楽しいことに意識を向けて忘れます


ひとつ注意点。
味わい尽くすプロセスをすっ飛ばして、この即座キャンセルをすると、忘れることができず、むしろどんどん溜まっていきます(経験談)。

あくまで、味わい尽くし、感じ切った先にどうでもよくなる体感覚を知っているからこそ、即座キャンセルで、そこに辿り着くプロセスをショートカットできるのであって。

なので、まずは汚いと感じる自分の感情と、花いちもんめしながらとことん向き合あおうね



まとめ

優越感や劣等感にぐるんぐるん振り回されて辛い時は、それに紐づく思いを吐き出そう。

勝って嬉しい花いちもんめ。
負けて悔しい花いちもんめ。

どっちも味わえば、上手に付き合っていけるようになるので大丈夫。