Q. マルチ・ポテンシャライトってなんですか?
A. これ読め。
ということで、マルチ・ポテンシャライトとはなんたるかの前提知識があるというベースで、話をスタートします。
マルチ・ポテンシャライトが活動する上で大事な2軸とは
マルチ・ポテンシャライトとして楽しく活動するためには、「好奇心ベースの行動」と、「探究心ベースの行動」という2軸で考えた方がいいんじゃないか、という説を立ててみる。
好奇心と探究心、どちらも何かにワクワクして興味を持つ、という点では同じです。
ですが、好奇心は「横に広げる」、探究心は「深掘りする」という点で、興味の拡大の向きが違います。
マルチ・ポテンシャライトの生き方の本質って、この好奇心(横軸の動き)×
探究心(縦軸の動き)から、さまざまな活動領域(四角形)を作っていくことなんじゃないかって思ったのです。
そうしてこれまで作ってきた活動領域を組み合わせると、気づいたらモンドリアンの作品のように美しく独創的な世界観が出来上がった、みたいな状態なのではないかな。
モンドリアンの作品ってこういうやつ。 |
抽象絵画っていいよね。 ちなみに私はカンディンスキーの絵がとても好きー。 |
ワクワクすることはないかな?とアンテナを立て、好奇心を使って面白そうなものを探す。
これぞ!と思うものを見つけたら、探究心を使って深く掘り下げる。
ある程度、自分が満足行くまで掘り下げたら、また好奇心を使って次の面白そうなものを見つけにいく。
こうして、好奇心と探究心を交互に使い分けていくことで、楽しい活動を更新し続けていけるのかな、と思うのです。
マルチ・ポテンシャライトという概念にモヤる場合のメカニズム
ところで、
- 「マルチ・ポテンシャライト」というワードに出会って、まさに自分のことかと思ったけれど、結局相変わらずふわふわしたまま。
何事も微妙に中途半端で、何者にもなれなくて苦しい...
という話を聞くことがあります。
そういう人の話をもう少し聞いていくと、先ほどのサイクルの中の探究パートが不足しているのかな...?と感じることがあります。
好奇心のままにあれこれチャレンジしてみた。
けれど、手をつけたものを、納得いくまで自分なりに深めることがないまま、別のものに手を出してしまう。
その結果として、ただただやりかけのものが無造作に散らかっていく、という現象が起こるのではないかなと思うのです。
先ほどの四角形のたとえに寄せるのなら、探究パートがないと、ただただちょっと太い直線が延々引かれるだけなのよね...(๑╹ω╹๑
)
なぜ、探求パートが不足するか
探求パートが不足しがちな人の思考をもう少しトレースしてみると、
1) 探求するなら、すごいレベルにならないといけないと思っている
2) 見つけたものを味わって探求することを楽しむ余裕がない
あたりの理由が出てくるのかな、と思います。
1) 探求するなら、すごいレベルにならないといけないと思っている
この場合、「探求」の定義に対して、他人の目が反映されていることが多いのかなと思います。
「探求するなら(誰が見てもすごいって納得する)プロレベルにならないと」
「深掘りするなら(人にドヤれる)資格を取れるくらいにならないと」
...みたいな感じで、人に評価されるくらい「すごい」レベルに引き上げる行為を探求だと思っていると、探求が苦しくなります。
探求の行為って、シンプルに自分が納得いくまで研究を重ねることです。
もっと言えば、子供みたいに飽きるまで夢中で遊び、楽しむことです。
そこに他人の評価うんぬんは関係ないんだよな。
ここで躓いているのであれば、そもそも、やりたいことを他人に見せずに一人でこっそり楽しむのがいいかもしれません。
私自身、他人の評価に振り回されて、好きなものを探究できなくなった経験が何回かあります。
たとえば、切り絵を作るのが怖くなって、何も作れなかった時期がありました。その時は、SNSを全ストップしました。
そうして、切り絵の楽しさ自体を一人で探求し直した結果、どちらも改めて深く楽しく向き合えるようになったのです。
こんな感じで、一旦一人の世界にこもって、淡々とやりたいことと向き合う時間を取ることで、他人に振り回されずに探求していくコツを掴めるはず。
2) 見つけたものを味わって探求することを楽しむ余裕がない
この場合、「好奇心ベースで見つけてきたもの」に、焦りや不安などの不純物が混ざっていることが多いのかなと思います。
好奇心ベースのやりたいことを見つけた...と見せかけて、選択の背景に、
「これをしたら、人生一発逆転して勝ち組になれるかも」
「これをしたら、人生一発逆転して勝ち組になれるかも」
「自分を強くしてくれる武器になりそう」
みたいな思いが少なからず混じっているのです。
みたいな思いが少なからず混じっているのです。
いま人生に対して抱えている不安や焦りをとにかく楽にしたい、という思いが根底にあると、純粋な好奇心からやりたいことを選ぶのが難しい。
代わりに、不安や焦りを手っ取り早く解消してくれそうな何かを、やりたいことだと認識して手を出しがち。
焦りや不安に駆られて動いているのだから、ただ楽しんで追究することは難しいですよね。
そうしてしんどくなってきた頃に、また別の「よさそう」なものが出てくると、パッと飛び移りたくなっちゃうのです。
ここで躓いているのであれば、そもそもの「人生に対して抱えている不安や焦り」と向き合うことがまず必要です。
向き合うというのは、外側で見つけたスキルや資格を身につけることで解消しようとするのをやめて、自分の内面を見つめることです(具体的にどうやって、は今回の記事では割愛)。
これもやっぱり、一人の世界にこもって自分と向き合う時間が必要なのだと思うのです。
まとめ
なんか今日、いつもよりちょい辛口だったかな?
それにめっちゃよう書いたな?
マルチ・ポテンシャライトの人が楽しく生きるヒントを書くと、なんだか筆が乗る。
これからも定期的に書いていけたらいいなと思います。
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