前回の記事で、自分を満たす系の願望と能力を獲得する系の願望についての話を書き、さらに気づいたことについて書いてみます。


願望を達成したい、という思いの根幹には、それを叶えることで喜びを獲得したい、という思いがあるものです。

この喜びには、2種類のルートがあるんじゃないか、と思ったのです。



喜びのルート


どういうことか?
具体的に例を挙げて見ていきましょう。


喜びルート一つ目。
たとえば、ご飯を食べて美味しい!とか、ふわふわパジャマを身に纏っていい気持ち!とかいう喜び。
ダイレクトに五感を満たすことで、体で感じられる喜びです。これを「カラダの喜び」と呼ぼう。



喜びルート二つ目。
たとえば、コンペで優勝したとか、憧れの人に褒められたとかいう喜び。
これは、五感で感じるのでなく、「これは喜びだ」と理解することで、頭で感じられる喜びです。これを「アタマの喜び」と呼ぼう。

アタマの喜びには、前提が隠れています。
具体例を挙げながら見てみると...

・複数人の中で競い合って、最も優れていると評価されることは喜ばしいこと
・一番になることはいいこと
・誰かに負けることは悔しくてみじめなこと
・コンペで勝つことは、自分の今後の人生に有利に働き、望ましいこと

・誰かに褒めてもらうことはいいこと
・自分と立場の差がある人には憧れが湧く
・憧れの人の目に止まるのは喜ばしいこと
・憧れの人からもらう承認が、自分の価値を上げてくれる

...などなどなど。
他にも書ききれないくらいの「(無意識に信じ込んでいる)前提条件や価値判断」があるからこそ、人はそれらを喜ぶことができます。

逆に、そうした前提条件がまだ育っていない生まれたての赤ちゃんにとって、アタマの喜びは喜びとして認識できないでしょう。





さて。
アタマの喜びって、カラダの喜びに比べると少し遠回りなのですよね。

カラダの喜びは、美味しいとか気持ちいいとか、五感が満ちた瞬間に感じられるのですが、アタマの喜びは、観念的な判断を挟むので。


前提条件が多ければ多いほど、喜びにたどりつくまでの障壁が増えていってしまうのですよね。

たとえば、「コンペで優勝」を例を取るなら、そこに
・一回勝ったら、勝ち続けなければならない
・大きなコンペで勝つ方が、小さなコンペで勝つよりすごい
・今回のコンペは小さいものだったから、勝ってもそこまで意味がない
・小さなコンペで優勝したら、大きなコンペにも挑戦しないといけない

...といった具合に、いろんな前提条件を持っていたら、優勝しても手放しで喜べないですよね。


自分の人生を振り返ってみると、願望達成しようとする=喜びを追い求める時、アタマの喜びばっかり追い求めていたのだ、と思ったのです。

というか、アタマの喜びを追い求めることこそが人生だと認識していて、カラダの喜びをめっちゃ軽視していたな、と思うのです。

そうなると、喜びを得にくいややハードモード寄りの人生になります。というか、なってました。えぇ。



アタマの喜びで頭打ちになったら


アタマの喜びを追求し続ける人生を送りたいのならそれでももちろんOKなのですが、それで頭打ち(頭だけに)(やかましいわ)と感じるのであれば、そこから抜け出す方法は二つです。

アタマの喜びを感じるための前提条件を減らす
カラダの喜びを増やす

この二つ。


アタマの喜びを感じるための前提条件を減らすためには、疑うことです。

喜びを素直に感じられない時、なんで喜びきれないかを考えます。
その喜びきれない理由が、あなたの持っている前提(さっきのコンペの話なら、「大きなコンペで勝たないと意味がない」とかね)。
前提を洗い出して、それ本当?と疑うことです。
疑いをもって前提を壊すほどに、喜びのハードルが下がるってわけですね。


そしてもう一つ、カラダの喜びを増やすこと。
そもそも、ハードルを飛ばなくても感じられる喜びを増やすのです。

カラダの喜びを増やすためには、無駄なことをしてみることです。
アタマの喜びに傾倒してる人は、この無駄なことを無駄だってめっちゃ鼻で笑うんですけど(はぁい、これ過去の自分)、この無駄こそ真理なんだよぁ...

無駄なことって、たとえば一万円札をシュレッダーにかけろとかいう話でなくてですね、本当はやりたいのに、無駄だと切り捨てて放置してることをやることです。

もう一回書くよ。

本当はやりたいのに、無駄だと切り捨てて放置してることをやることです。

ドキッと思い当たるものがあった?
それですそれ。さっさとやろう。



まとめ

人生の喜びを増やすためには、喜びのハードルを下げることと、そもそもハードルなんぞ飛ばなくても感じられる喜びを増やすことが大事だという気づきのお話でした。

特に後者が、ここ最近の私にとって大きな気づきでした。
常にハードルを飛ぶ前提で生きていきたんだなぁ。


ただ五感が満たされるだけの行為って、全部"無駄"だと思ってたのですよ。
もっと、能力やら何やら獲得することが素晴らしいって。
けれど、「能力やら何やら獲得」した先に得たいものって、結局、五感が満たされることなんです。

幸せの青い鳥みたいだよね。
求めてるものって、そんなに遠くまで旅しなくたって、すぐそこにあったんだから。