先日ふと、私の世界の捉え方は以下の通りだ、ということに気づきました。

・世界は基本的に怖くて危険で、マグマのようなもの。生身で触れたらジュ!ってなって死ぬ(語彙力w)
・誰かと友達になったりコミュニティに入ったりして、人間関係を構築していくことで、マグマの中に、安全に過ごせる領土が広がる(一人でもいられない訳ではないけど、いかんせん領土が狭い)。
・人との関係性をより強固にしていくほど、領土が安定する
・しかしたとえば相手が不機嫌になったり、相手にとって自分が不都合な存在になると、領土から追放される。
・追放されると、下手したらジュ!ってなって死ぬ

...いや、ハードモードすぎない?影織なんですぐ死ぬん?


世界が厳しい場所だ、というものの見方をだいぶ外してきたはずなのですが、まだまだこれだけ怖さを持っていたのだな...とに気づいたのです。



あるのはただ地平だけ

こんなイメージだったんよ。

...という話を、パートナーにしたところ、めちゃくちゃ大ウケしました。いや、なにウケとんねん。


その後、パートナーは一言、
  • マグマも安全地帯もなくって、あるのはただ地平だけだよ
と言ったのです。


それを聞いて、私はほー...と感動したのですね。



私が、この世界をマグマのように怖いエリアと、そうでない安全な領土と二分しているから、私の見える世界は、怖い場所とそうでない場所があるものとして立ち現れているのか。

世界が初めからそのように塗り分けられて存在しているのではなく、私が定義して塗り分けたから、二分された世界が見えているに過ぎない

国境と同じようなものかもしれない、と思いました。
たとえば動物にとっては、国という境目の概念などない。
けれど人間にとっては、「ここまでA国、あちらはB国」と定めたから、そのような約束事の元で機能している。

あるのはただ地平だけ。
そこにどんな境目を引いて区別するかは自由だし、そもそも境目を引く行為すら必要ないのかもしれない



まとめ

この、自分で引いた境目のことを、「思い込み」「観念」「認識のフィルター」とも呼びます。

私たちは、自分で定めた境目に従って世界を区別し、認識している。
けれど、

実際あるのは、ただ地平だけ。