さっき、夕飯にチンジャオロースを食べながら気づいたことを書きまーす。
つい最近まで、私はピーマンが苦手でした。普通に食べられるようになったのは、コロナにかかって一時的に嗅覚障害を起こした時でした。
うまうまとチンジャオロースを食べながら、過去にピーマンを食べようとしなかった理由に想いを馳せていたのですね。
かつての私は、レストランに行っても、自炊する時も、いつも決まった料理しか選びませんでした(会食とか、周りに合わせて食べなければならないタイミングでは、ちゃんと美味しそうに食べる覚悟はあったけど)(←そもそも、今考えるとこの発想もだいぶ歪んでるよね)。
以下の記事にも書いたように、
パスタを食べるなら、だいたいミートソース。
ケーキを食べるなら、だいたいモンブラン。
ステーキを焼くときの付け合わせは、だいたい玉ねぎとにんじん。
と相場が決まっていたんです。
あの頃、なぜ食の選択肢が狭かったか?
少し前の自分は、割と人生に絶望していました。
20年ちょいの生でこれだけしんどいことがたくさんあったのだから、この先あと60年くらい、単純計算で今までの3倍量の苦しみが待っているのだとして...この先どう生きたらいいのか、と割と真剣に悩んでいました。
その中で「食」は数少ない癒しであり、喜びの一つだったのです。
だから、
「人生の中の喜びがただでさえ少ないのに、わざわざそれを減らすリスクを犯したくない」
「もし、普段食べないものを選んで失敗したら、幸福の総量が減ってつらい」
と、無意識に判断してチャレンジできなかったのだ、と気づいたのです。
だから、美味しいってわかってる安牌の料理しか選べなかったんだな。
そんなことを考えながら、
「新しい世界を体験しに飛び込む、いわゆるポジティブなチャレンジって、ゆとりがないと無理だな」
と気づいたのです。
ポジティブなチャレンジをしていくために
チャレンジには2つの方向があります。
一つは、マイナスの世界から飛び出すためのチャレンジ。
もう一つは、プラスの世界に飛び込むためのチャレンジ。
前者は、「もうこんなクソみたいなところ抜け出してやるからな!!!あばよ!!!!」という思いで、今いる状況から離脱することです。私も何度か経験してきました。
ブラックエンジン(怒り、憎しみ、恐怖、悲しみ...)を使うことで、瞬発的な力を発揮して、抜け出すことができるのです。
一方、今回取り上げたいのは後者の挑戦です。
「これって知らない世界だけど、なんだか気になるんだよね」
「触れたことないけど、ワクワクするから行ってみたいな」
というポジティブな気持ちで、未知に飛び込むこと。
これ、自分の心の中がある程度落ち着き、満ち足りていないと、怖くてできないのです。
新しい世界に行くというのは、たとえ中身がどんなにポジティブでも、間違いなくリスクであり、怖いのです。だって未知なんだもの。
喜びや幸福度が少ない状態で、そこに飛び込もうとすると、今手持ちの、勝手知ったる数少ないポジティブを危険に晒すのが怖くなって、前に進めないのですね。
ミートソースパスタとモンブランなら、食べる喜びを知ってる。
でも、ジェノベーゼは?ティラミスは?
なんとなくは知ってるけど、ほんとに美味しいの?
実際それを食べて気に食わなかったらどうしよう。
そうして幸福を失うリスクを取るくらいなら、いつもの選択肢を選ぶのが無難じゃないか。
と。
(↑パスタとケーキを、いろんなものに置き換えて読んでみてくださいね)
だからこそ、まずこの状態で必要なのは、「喜びや幸福度が少ない、パツパツギリギリの状態を緩和すること」なのではないかな、と思います。
我慢していること。
人に気を使いすぎていること。
自分を後回しにしていること。
周囲の顔色を伺いすぎていること。
それらの自分の行動選択、一つ一つを疑うこと。
本当に、それ全部必要なんだろうか。
やらなきゃいけないんだろうか。
それらを手放していくと、無難な安牌を選んで、なけなしの安定を守らなくては...という思いが減っていくのです(そんなに守ろうとしなくても大丈夫だ、という心の土台が育っていくので)。
じゃあ、どう手放していく?
...というもう少し深い話は、過去記事にいろいろ書いているので、こちら見てもろて。
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