ここ最近、改めて「自分らしく生きるってなんだろう」と考える日々が続いています。

うーん、全然まとまらないので、とりあえず書き始めてみよう。結構抽象的な話になっちゃうかもな。



自分らしく生きるってなんだろな


自分らしく生きるって、シンプルに考えると自分のやりたいことをやる、ということでしょう。

自分のやりたいことが、世間一般に良いとされてるもの、みんなが受け入れやすい、一般的なものだったら、特に問題はありません。海外旅行にたくさん行きたいとか、大きな家に住みたいとか...

でも、さらに突き詰めていくと、人にはウケない...いやむしろ馬鹿にされるもの、笑われてしまうもの、情けないもの、嫌厭されたり、眉を顰められたりするかもしれないもの、が出てくることもあります。


本当はすごく気になるけど、他人に何と思われるかわからないからできない。

かと言って諦めきれず、ずーっと心に引っかかり続けているんだよな。

もし、"それ"に興味があるって、周りの人にバレちゃったらどうしよう。

そんなヤバい自分が目覚めて、手がつけられなくなったら...目も当てられない。

(私の場合、ここで書いた「オシャレする」はその一つでしたし、数年前に決めた「1000%定年まで安泰・安心な会社を飛び出して、創作を人生の核に置いて生きる」もそうでした)


その選択肢を選ぼうとすると、いろいろネガティブな思いが湧いてきます。

これでいいんだろうか?と、誰かからのお墨付きが欲しくなったり、
これじゃダメだよね?と、不安に飲まれそうになったり、
こんな自分じゃダメ。と、罪悪感が湧いて苦しくなったりする。

引き返したくなりますよね。
引き返せるものなら引き返したいけど、でも、なかったことにもできない。ずっと心に引っかかっているから。




まぁ、どちらを選んだっていいのです。

引き返しても、進んでも手に入るものがあるし、どちらを選んだって後悔も満足もするのだから。


ただ、どちらを選ぶにしろ、自分の判断・決定・選択を受容する力が必要になってくるのではないかな、と思います。

...いや、違うな。

自分の判断・決定・選択を正解と信じ、そして実際に正解にしていく力、かな。


近くにいる人に理解してもらえなくても、一般常識とずれていても、関係性に摩擦が起きても、それでも自分が選んだ道を正解だと選び続けることができるだろうか?

心が指す方を、仮に正解とみなして歩き出し、いずれ「この道を選んでよかったな」と感じる未来を作っていけるだろうか?


もちろん、たとえば「周りにいる大事な人の価値観に合わせた生き方をする」という道だって、正解です。
そう生きることに対して、自分の中でしっかり納得できているのであれば。

でも、もしそうでなく、何かが燻り続けていたら?
本当はどこかで納得できていなかったら?

その時は、新しい道を選ぶ勇気の出しどころなのかもしれない。怖い方へと。



まとめ

こう考えると、自分らしく生きることを本気で追求するのって、生ぬるいものじゃないな、と感じました。

というか感じている真っ只中。くー...めっちゃしんどいね。°(°`ω´ °)°。


のたうちまわって己と対話しながら、それでも「自分らしく生きる」を模索し、体現していけたらなと思うのです。