好きな食べ物、最初に食べる派ですか?最後まで取っておく派ですか?

私は子供の頃からずっと後者です。
つらいこと(苦手な食べ物)は先に片付けて、好物は後でゆっくり味わいたい

この選択パターンって、人生の結構いろいろなところにも使いまわされがちだなと思います。



「いつか」の余白はいつできるのか


たとえば自分の場合、あれやってみたいな、気になるな、と湧いてくる気持ちを、「今やってることが終わってからね」とついつい後回しにしてしまいがち。

やることが全部片付いた後で、余白ができたら、好きなことを心置きなく楽しめるだろう、と思うのですね。


...よくよく考えるとこれ、トラップがあるんです。

「やること」が、「やらないといけないこと(納期の決まっている仕事など)」ならまだわかります。

一方で、それが「いつかのためにやっておいた方がよさそうなこと」の場合、やりたいことは永遠に後回しにされていきます。
やっておいた方がよさそうなことなんて、ごまんとあるので。


今やっていることが片付いたとしても、「これも前倒しでやっておくといいかも」「あれもやっておくと楽かな」と、「いつか」のための準備をして、「いつか」好きなことをできる余白作りに専念してしまうんですよね。

つらいことは先に片付けて、好物は後でゆっくり味わいたい。
...という思いで始めたはずが、
つらいことを片付けることそのものにフォーカスが当たって、とにかくそれらを全部終わらせて、楽になることが目的になってしまうのです。



「いつか」楽になる夢見て、目の前のやることを片付けていくとしましょう。
でも、片付けた先の未来で、あなたはきっと更に先にある「いつか」を夢見ながら、やることに追われているはずです。

だって現に、今この瞬間は、以前夢見た「いつか」のはずなのに、今も「いつか」のためにやることに追われているでしょう?

私はこのからくりに気づいた時、衝撃で膝から崩れました。
望んだ「いつか」なんて一生来なくない????


だから、まぁ...落ち着け( ˘ω˘ )
なんのためにつらいことを片付けているのか?というと、その先で好物を味わいたいからです。


となると、考えるべきポイントは、

つらいことを全部片付けなくても、好物を味わうことってできないのだろうか?

つらいことを全部片付ける前に好物を楽しんでしまったら、何か問題が起こるのだろうか?

そもそもその「つらいこと」って、やりたいことを後回しにしてでも、今やる必要があることなのか?

というところです。



これらの答えが、幻の「いつか」に目を向けさせて、「今」楽しむことを阻んでいる原因のはずです。



まとめ

私自身、今でもこのパターンに陥って、今掴めるはずの楽しさや喜びを先延ばしにしてしまうことがよくあります。つい、ね...

今、この瞬間から好きなことを思いっきり楽しんでもいいのよ。