ちゃんとやろう、正しくやろう、うまくやろう。
...と意気込むと、妙に空回ってしまうことがあります。



なんで?


ちゃんと、正しく、うまくやろうと頑張る時は、大概他人の目や評価を気にし過ぎている時です。

外側にばっかり意識を向けるから、地に足つかず、ちょっとふわつきがち
そして、変に緊張してしまって、向けるべきところに意識が向きにくくなる


たとえば、今ここまで書いた文章をちょっと音読してみてください、と言われたら、まぁ普通に読めると思うのですが、

「ちゃんと、正しく、うまく読んでくださいね!」って言われると、どう読めばいいのかわからなくなりませんか?

滑舌、読み方、アクセント、抑揚...などなどなど、細かいところの一つ一つが問題ないか、という確認に意識がほとんど持って行かれてしまい、全体の流れとしてのスムーズさが失われてしまうのです。


そして、外側にどう見られているか、というところばかり気になって、今自分の目の前で取り組むべきことが、逆に疎かになってしまうこともあるんですね。



どうしたらいいのか


うまくやろうとしないことです

ちゃんとやろうとするほどできないし、正しくやろうとするほど変になるし、うまくやろうとするとアチャーなことになる。

えぇ、そんなもんです。


「ちゃんとしなければ」という思いが湧いている時というのは、もし「ちゃんと」できなければ酷い目に遭うかも、という恐怖に駆られている時です。

何を恐れているんだろう?
誰かを失望させて見捨てられること?
誰かを苛立たせて、機嫌を損ねること?

恐れていることは目の前にあることそのものではなく、過去の体験に基づく予測なのかもしれない(以前起こったことが起こるかも、という恐怖が妙に大きく見えているだけで、実際目の前では何も起こっていないのかもしれない)。



まとめ

私もしょっちゅう、ちゃんと、正しく、うまく...という呪縛で自爆してしまいます。

空回ったら深呼吸。
空回りしてまで避けたいと願うその恐怖は、ただの過去の"影"なのかもしれないよ。