アドベントカレンダー21日目。
そもそも、なぜ自己対話が大事なのか?
マルチ・ポテンシャライトが、自分はマルチ・ポテンシャライトであると気づいて生きるために、そして自分の好きなことをとことん追求して生きるためには、まず自分の魂の声を聞く必要がある、と思います。
自分自身が何を望むのか?
その答えは、いくらググっても出てこないものです。
答えは自分の中にしかない。
けれど、その自分の素直な声を聞くのって、案外難しいのです。
本当はこうしたい、こんな風に生きたいという望みがあったとしても、
世間の常識から外れているのはみっともないとか、
周りの人の目が気になるとか、
こんな願望は恥ずかしい、誰かに怒られるんじゃないかとか、
そういうノイズによってかき消されてしまうので。
この、ノイズの正体ってなんだろう。
それらは、外側からやってくるように見えて、実は自分が生み出しているものなのです。
ノイズと向き合う
以前の記事で、できないこととして受け入れ、環境を変えた結果として「マルチ・ポテンシャライト」性が開花していった、と書きました。
数年前までは、
自分の手でゼロから何かを作り上げてSNSで公開するとか、
ブログを書いて読んでもらうとか、
作品作りを通じて知らない人と交流するなんて、一つも思いつかない生活を送っていました。
私の人生の前半は、そんなことを楽しむ余裕などなく、ずっと目の前に次々と現れる問題の対処で精一杯だったのです。
家庭内の問題、対人関係のトラブル、進路やキャリアの選択のプレッシャー。
あまりに波乱と苦しみが多すぎて、
どの選択肢を選んだら、正解になるのだろう?
ということしか頭にありませんでした。
その当時、喉から手が出るほど欲しかった「正解」も、言葉を変えれば
「一番波風が立たなくて、安全でいられる方法」
「一番他人ウケする方法」
であり、自分の外側のことばかり考えていたのですね。
目の前に次々と現れる問題は、周りの人間、環境、社会のせいだと思っていた。
でもそうではなかった。
私が、周りの人間・環境・社会を、自分がどう捉えて、どう付き合うか次第で変わるものだった。
もちろん、どうにもならないことはあるでしょう。
あの人の言い方がきついのは私のせいじゃないし、
今いる会社の業績が悪いのは私のせいじゃないし、
日本が不景気なのは私のせいじゃない。
全部、私のせいじゃない。
けれど、
ビクビクしながら黙ってその人と付き合い続けることを選んでいるのも、
その会社に不満を抱えながら通勤することを選んでいるのも、
文句を言いながら日本に住むことを選んでいるのも、
全部、私だ。
全部、私が選んでいる。
本当はこうしたい、こんな風に生きたいという望みがあったとしても、
そうしてはダメだと信じ、心に浮かんだ望みには従わない、という選択肢を自ら選んでいる。
これがノイズの正体。
被害者の顔をしていれば、自分は変わらなくて済みます。
外側が悪いんです。私は悪くないんです。
私は何もしたくない、外側が私の都合のいいように変わってほしい。
...でも、外側をコントロールすることはとても難しい。
変えることができるのは、自分の捉え方と選択だけなのです。
「自分の捉え方と選択を変える」ということ
...うむむ。
このことに気づいたときに、めちゃくちゃしんどくなりました。
なんで、これまで我慢に我慢を重ねてきた私が、さらにまた変わらないといけないんだろう?と。
変わる、ということは自分をさらに捻じ曲げることではなくって、
捻じ曲げてしまった自分を元に戻す作業です。
でも、捻じ曲げた状態が普通になっていたからこそ、最初、元に戻そうとするととても居心地が悪く、痛みがあるものです。
自分の中のタブーを越えないといけないので。
例えば、
「正当な理由(ドクターストップがかかったとか)がない限り、他人から頼まれたことは絶対に断ってはいけない」
と信じている人は、「やりたくないから断る」「嫌だなと思ったら伝える」ことに対してタブーを持っています。
「正当な理由(ドクターストップがかかったとか)がない限り、他人から頼まれたことは絶対に断ってはいけない」
と信じている人は、「やりたくないから断る」「嫌だなと思ったら伝える」ことに対してタブーを持っています。
なぜそのタブーを持っているかと言うと、
「もし他人の依頼を断ったら、恐ろしいことが起こる、痛い目に遭う」と信じているからです。
なぜ、そういう世界の捉え方をしているのだろう?
別の捉え方をできないだろうか?
と疑問を持って、向き合うこと。
これが、自分の捉え方を変えることです。
勇気を出して、自分の中のタブーを超えること。
断ってみる、嫌だと言ってみること。
いつもなら怖くて選ばないやり方を取ってみること。
これが、自分の選択を変えることです。
自分の中でのタブーを超えるので、泣きそうなほど怖さを感じることもあれば、めちゃくちゃ強い抵抗感が出てくることもあります。
だからこそ、自分は変わりたくない、周りが変わってくれたらどんなに"楽"だろうか...と願わずにはいられない。
その怖さや抵抗と向き合うくらいならば、ちくちくとした不満を抱えたまま、今の日常が続く方が"楽"だと思ってしまう。
そこを超える必要があるのです。
闇雲に目を閉じて怖い方へと突進するのでなく、
目を開けて恐れと向き合わなくてはいけない。
私も、自分と向き合う過程で、死ぬほど泣いたり怒ったりしました。
どぶさらいをするように、過去に置いてきた感情と向き合わなくてはいけなかったので。
たくさん自分の気持ちに蓋をしてきた人ほど、深掘りすることは抵抗が大きいものでしょう。
自分の気持ちに無意識に蓋をしたままで、
「マルチ・ポテンシャライトとして、やりたいことをいっぱい楽しもう!」
と決めたとしても、結局外側に振り回されて、自分の資質も才能も十分に活かしきれないのではないか、と思うのです。
まずは自己対話をしよう。
向き合った先で、少しずつ、押し殺していた自分の魂の声が聞こえ始める。
そこがようやくスタート地点なのです。
自分の奥底から聞こえる声を拾い上げることができるようになった先で、自分の好きなこと、やりたいことを安心して追求することができるようになるのです。
あなたの魂の声は、何を語りたがっているのだろう。
まとめ
アドベントカレンダーの記事の中で、この回がクライマックスなんじゃないかというくらい、一番力を込めて書いた記事でした。
自分の声を聞くやり方は、このブログでもいくつか記事を書いています。
また、深掘りするポイントがわからず、同じところでぐるぐるしてしまいやすい、という方に、一人で自己対話を進めていけるようになるヒントをお伝えするサービスも提供しています。
今回ブログで書いたことは、普段のブログをはじめとした活動を通じて、自分が伝えたいことの本質の部分ではないかな、と感じています。
マルチ・ポテンシャライトとしての自覚を持ち始めている人も、
自分はそんなものと無縁だと思っている人も、
本当はマルチ・ポテンシャライトの資質があるけれど、まだ気づいていない人も、
安心して、自由に表現できるような世界になってほしい。
(「表現」といっても、クリエイター活動に限りません。
私はこう思う、こうしたい、という気持ちを誰かに伝えることも表現の一つだと考えています)
誰もが、自分の魂の声を聞き届けて、自分の人生を生きられるような世界になってほしい。
そのために、これからも活動を継続していけたらいいなと思います。
次回は、「マルチ・ポテンシャライト仲間に出会うために」というテーマについて書いてみます。
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