先日、プライベートで久々に、
「もしかして、人に悪く思われたのではないか」
「何か間違ったことして、嫌われちゃったかも...」
という不安でぐるぐるして、作業が何も手につかないことがありました。
結果的に自分の杞憂ではあったのですが、久々にこの嫌な感覚を味わいながら、
「どうにもならないことをどうにかしようとするのって、本当にエネルギーが漏れるな...」と思ったのですね。
制御不能なものにエネルギーを持っていかれる感覚
だって他人の感情や思考、気分や思惑は他人のものなので。
そこをなんとかしようとするのは、でっかい山を動かそうとするようなものなので、無駄にエネルギーばかり消費して、消耗するのです。
結果的に、たとえば創作するとか、表現するとかの、他にやりたいことに回せるエネルギーが少なくなってしまうのですね。
(エネルギー漏れの対策の話については以前、ここでも書いたので、参考になるかも)
どうしたらいいんだろう
自分がちょっと頑張れば、気合を入れたら、我慢をしたら...
そうしたら、他人の心を制御できるのではないか?
と、期待をかけることを諦めきれないから、どうにかしようと踏ん張るのです。
...とは言ってもだよ、ニコニコ穏やかに接すれば人は喜ぶし、カチンときた瞬間にぶん殴れば人はビビるものでしょう?
そうかもしれない、大概は。
でもそれはたまたま、相手の心の辞書の中に
ニコニコ穏やかな人=いい人、話しやすい人
突然ぶん殴る人=怖い人、避けるべき人
という定義があったから、その人は喜んだり怒ったりしたのです。
ニコニコ穏やかな人=裏で何を考えているかわからない、怖い人
突然ぶん殴る人=感情に素直で、わかりやすく付き合いやすい人
という定義を持っている人だったなら、反応は逆になるでしょう。
自分の言動で他人の思惑をどうにかできる、と感じる時は、たまたま自分の理解できる定義を持っていた相手とコミュニケーションして、相手の反応が予想通りに見えているだけなのですね。
ということで、「自分の言動で、他人の思惑をどうにかできるわけではないんだな...」と気づくところが、人の目を気にせずいられるようになるための、第一歩ではないかと思うのです。
まとめ
他人からの評価をどうにかしたいと悩む時は、自分の言動で他人の思惑をどうにかできると思っている時です。
今の自分はどうにもならないことをどうにかしようとしているんだ、と納得し、コントロールを諦めた時に、他人の目を手放していけるのかな、と思うのです。
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