「こんなことして何になるんだ、え?」
と虚無タイムに入ることがあります。百万回くらい。
表現活動している時の虚無タイムを超える
表現に、元来意味や意義なんてないのです。
なくていい。
もちろん、成果物が誰かの役立つとか、人を喜ばせる・楽しませるとか、そういう一面は少なからずあるでしょう。
が、それらが表現活動をする意味や意義そのものだ、とみなして動くと、苦しくなってしまうものです。
それは本質ではない。
表現とは、自分の魂から湧いてくるものを掬い上げる行為だ、と思います。
言いたくてたまらないことがある。
自分の中にあるものを形にしたくて、うずうずする。
私のBigなLoveをちょっと語らせてほしい。
それをただ出す。
それが評価されるとか役立つとか、人に受け入れられるというのは、たまたま起こる副次的な作用なんですよね。
表現に意味や意義をあえて求めるのだとしたら、ただ掬い上げる行為そのものにあるのではないかなぁ。
あなたの中に湧くものは、あなたにしか掬い上げることはできないのだから。
まとめ
表現とは、自分しか辿り着くことができない魂の泉から、美しいものを汲み上げる行為なのではないかな、と思ったお話でした。
表現活動をしていて、「こんなことして何になるんだろう?」と迷う時は、自分の外側に表現の意味や意義を探しに行くことを、一旦やめてみるといいのかもしれません。
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