渇望感を超えた先に何があるんだろう?というお話。
渇望感と行動エンジン
など、まさに喉から出るほど何かが欲しい、と願うことがあります。
その願望は、前進する力、推進力になります。
めちゃくちゃ欲しいものがあるから、めちゃくちゃ頑張るわけです。
それなりに結果もついてくる。
しかし、それが手に入った時、あるいは、それを手に入れなくてもいいのだと気づいた時、
「あの渇望感なしに、この先、何をどうしたらいいのか...」
と呆然としてしまうことがあるんですね。
渇望感をエンジンとしていたので、それを外したら、前に進めなくなってしまう、という。
人によっては、また別に渇望するものを探し出し、エンジンをかけ直す場合もあります。
しかし、
「いやいや、もはやこんなに必死に何かを手に入れなくてもいいのかも...」
「いやいや、もはやこんなに必死に何かを手に入れなくてもいいのかも...」
と気づいた場合、動けなくなってしまうのですね。
渇望感を失って、動けない時は
次のフェーズがやってきているのです。
「なんとしてでもこれを手に入れないと」という不足感を動力源として動くフェーズから、
「今、もう既に満足で、これが手に入ったらもっと楽しいかも」というワクワク感を動力源として動くフェーズへ。
このエンジンの積み替え期間は、間違いなく混乱して動けなくなります。
これまでのルールが何もかも通用しなくなってしまうので。
私自身も、かつての創作するモチベーションとして、
- 成果を上げ、それを印籠のように掲げて、他人に自分を認めさせたい
- ちっぽけで何もない自分が、少しでも生きた証を刻みたい
みたいな、ヒリヒリした感情をベースに動いていたのですが、
その痛みが減ってきた時に、何をどう作ったらいいか、わからなくなってしまったことがありました。
その間、以下のようなことをしていました。
・元と同じペースで作れないことを認めて、創作のスピードを落とした(本当は完全に止まった方が、結果的にそのスランプを抜けるのも早かったのではないかと今では思います)
・自分の価値を証明するためでなくて、「ただ純粋に自分が作ってみたいもの」とは何か考えた
・(切り絵で)普段使わない配色や素材を色々試してみた
要は、新しいルール、つまり
「今に満足していて、そこからさらに何をプラスしたいか」をベースに考えるために、試行錯誤したのです。
その結果、ひりついた渇望感をベースにした活動から、もっと穏やかに、表現したいものを追い求められるようになったのですね。
まとめ
とはいえ、今でもたまに、
「これさえ手に入れば...!」
という不足感をベースに突っ走りそうになることがあります。
強烈な不足感や渇望感って、案外手放しにくいのですよね。
なぜか?
それについては次回書いてみたいと思います。
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