「対価を差し出さないといけないな」
「負債を抱えてしまうのではないか...」
と考えてしまうことがよくありました。
相手と対等な関係でいたいのに、なんだか引け目を感じてしまう。
「循環」という考え方
何かしてもらったことに対して、対価を差し出すとか、負債を抱えるという考え方ではなく、循環している、と考えるとしっくりくるな、と思ったのですね。
何かをしてあげる、してもらうという循環。
その人との間に留まらず、誰かに親切にすることも、また循環の一つかもしれません(「恩送り」という言葉もありますよね)。
対価や負債というと、「払わなければならないもの」「取り立てられるもの」というイメージがセットになって、与えることも受け取ることも、途端に苦しくなります。
一方、循環と考えると、与えることも受け取ることも、自然な流れとして組み込まれているな、と感じたのですね。
ずっと誰かから貰いっぱなし、
あるいはずっと誰かにあげっぱなし、ということはできない。
なぜなら常にぐるぐる流れ続けているものなので。
また、循環と考えれば、受けた恩はきっちり相手に耳を揃えて返さないといけない、
あるいはしてあげた分、きっかり返してもらわないといけない、
という考え方も緩むかもしれません。
あるいはしてあげた分、きっかり返してもらわないといけない、
という考え方も緩むかもしれません。
ビジネスライクで厳密な個人間取引じゃなく、もっと大きな目線で、どこかから入ってきて、また出ていく、そういう流れなのかなぁと思うのです。
ところで、この文章を書きながら、突然この曲のサビの部分が頭に浮かびました(歌詞はこちら)。
雪がとけて 川となって...という部分。
循環のイメージはこんな感じです。
ということで、「対等な関係」の本質は、循環と考えるといいのかもしれない、と思ったのでした。
まとめ と おまけ
昨日と今日の記事は、ちょっと抽象度高めの内容でお送りしました。
キーワードは「過不足がない状態」。
今日の記事は、ポンと降りてきた言葉を、もう少し噛み砕いて書いてみました。
噛み砕かないバージョンも下に載せておくので、参照してみてください。
- 原石のようなものなので、磨き方次第で見え方が変わるだろう。
対価...と言うより循環というべきなんだよな。
円環。
君が与え、私が受け取る。私が与え、君が受け取る。
他の人との間でもそうだね。
他の人との間でもそうだね。
支払って楽になろうとするからね。
負債を抱えたくないのではなくって、
常に与え続けておくことで、優位な立場にいたいのかもしれないね。
+と−は、ゼロに至るんだ。
対価というと、重く捉えてしまうから、正しい流れが出来ているかを見たらいい。
それは「ありがとう」という言葉でも構わないし、モノやお金などの、形あるものでも構わない。
滞りがないかを、よく見たらいい。
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