昨日は、他人をむやみに傷つけない形で、自己主張をするための考え方について書いてみました。
今日は、これについてもう少し角度を変えて書いてみました。
ばーっと降りてきたのをガーッと書いたので、文章キレッキレの上級者向け記事だよ〜✌︎('ω'✌︎ )
まだなかなかうまく自己主張できない、やっと自己主張できるようになってきたかも...という方にはちょっと深く刺さりすぎるかもしれないので、あんまりおすすめしません。
そういう方は昨日の記事の方を読んでね。
抑圧のはじまり
自己主張が下手くそな人は、おそらく、周りから抑圧されてきた経験が多い。
たとえばパンダのぬいぐるみが欲しいと言ったら、
「そんな変な人形はやめて、みんなが持ってるこっちのテディベアにしておきなさい!」
と無理やり押し付けられるような。
感性を否定されたように感じた時、自分丸ごと自信がなくなる。
正しい自分、受け入れられ、愛される自分になりたい。
そう願い始めると、「正解」が外側にあると信じるようになる。
「正解」とは、圧倒的強者(親、教師、世間)に与えられるものだと信じるようになる。
自分が好きだと思うもの、いいと思うものではなく、外側の「正解」に合わせなくては、と思う。
「正解」に従うことが一つの生存戦略となって、手放しにくくなっていく。
被害者から加害者、そして許しへ
自己主張することを覚え始めたタイミングで、かつて自分がされてきたことと全く同じことを周りに強要してしまうことがある。
私の思う「正解」に、相手を当てはめようとするのだ。
自分がかつて、強者に与えられた「正解」の枠に収まることを望まれたように。
弱者から強者の立場へと、ようやく自分も鞍替えできたのだ、と無意識に思いながら。
違う。
本当は弱者も強者もいない。
正解なんてものは、どこにも存在しない。
自己主張とは、対等な立場に立って意見を述べることだ。
私はこう思う。あなたはどう思う?
あなたと私、どちらの意見も等しく同じ重さを持つ。
時に相容れないこともあるかもしれないけれど、自分の意見を同化や消滅させる必要はない。
どちらも独立して存在できるし、していていい。
相容れなければ離れ、受け入れられるなら共鳴すればいい。
それが優しい自己主張の形だ。
とはいえ、いきなりそのこと全てを理解する必要はない。
強引で傲慢な自己主張をしてしまったことを、恥じる必要もない。
自己主張して他人を傷つけるそのプロセスが、通るべき道、必要不可欠なことだったから。
被害者は、ずっと被害者ではいられない。
配役が変わり、初めて加害者の気持ちを知る。
あぁ、あの時私に正義を押し付けたあの人は、こんな気持ちだったんだ、と。
そうして、人は役割を変えながら繰り返し学んでいく。
立ち位置が変わり、問題を違う角度から見ることができた時、許しが始まる。
だから、その立ち回りは全部必要だったのだ。
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