「人からこう思われたいな(思われたくないな)」
をコントロールするための行動は、結構エネルギーを消耗します。
例えば、
良い人だと思われたくて、どんな頼み事も断らないで引き受けるとか。
できるやつだと思われたくなくて、わざと仕事の手を抜くとか。
人の思惑は自力でコントロールできないのに、コントロールしようとするところがまず苦しく、
自分らしさと自分の気持ちが置き去りで、人からどう思われるかをメインで考えて行動しているところで、さらに苦しいんですね。
どうしたらいいのか
そもそも人の思惑をコントロールすることには、その人なりのメリットがあります。
例えば、何でも引き受ける(良い人と思ってもらう)ことで、誰かに頼られたり、必要としてもらえるとか、
仕事ができないふりをする(できるやつと思われないようにする)ことで、他人から重い期待をかけられずに済むとか。
そのメリットが欲しくて、無意識にコントロールするんですね。
まずはそのメリットに気づくところからです。
そして疑ってみるのです。
そのメリット、本当にメリットなんだろうか?
例えば自分の場合、
「自己主張しない人は優しい。優しい人はみんなに受け入れてもらえる(自己主張したら嫌われる)」
という思い込みがかつて強くあったので、なんだか嫌だな、辛いな、と思っても、色々我慢して受け入れていました。
"優しい"人だと思われたかった。
Noを言わず、黙ってニコニコ何事も受け入れる"優しい"人でいれば、自分もまた人に受け入れてもらえる、と思っていたのです。
いや、そんなことないわな笑 (☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎
...そう思えたのは、
相手を傷つける形ではない、「優しい」自己主張をする人を見つけたり(反例の発見)、
そういう形の自己主張をできる人が、人の輪の中にいるのを見たり(これも反例の発見)、
Noを言わずに限界まで頑張ることで、精神的に参っちゃう経験をしたり(デメリットの発見)、
「自己主張しない"優しい"人と思ってもらえたら、メリットがある」を覆す経験をたくさん重ねて、
"優しい"って思われようとしても、あんまいいことないかも...(´・ω・`)
と気づいて、止めることができたのですね。
まとめ
人の思惑のコントロールをしたくなる時は、どんなメリットが欲しくてコントロールしたいのかを考えてみるといい、というお話でした。
メリットと思っていることがメリットではないと気づいた時、自然と手放していけるんですね。
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