ここしばらくちょっとサボりがちだった、過去記事整理を再開しました。
最新記事から遡って整理しているのですが、途中で「この記事で1000記事目です!」というブログを見つけたので...あと1000記事整理しないといけないわけですね。
先は長いぞ( ˘ω˘ )
文章の人間らしさと、外への心の開き方
整理しながらふと、最近「影織さんの文章、最近人間っぽくなってきてる」と言われたことを思い出しました。
人間っぽくってなんだ笑、とその時は思ったのですが、改めて2年くらい前の記事を読み返すと、確かに今の方が人間っぽいなと思いました笑
昔は...そう...概念だったの( 'ω')(概念だったの...!?笑)
過去の自分もめっちゃいいこと言ってるなと思うのですが(自画自賛)、
概念を概念で話している傾向にあるんですよね。
自分がこう思ったとか、こう感じた、と話してはいるものの、まだバーンと外に見せるのが怖かった。
ので、抽象的にしたり、ぼかしたり、エッセンスだけ抽出したり...そう、つまり概念だったのです...
なぜ概念的だったのかというと、シンプルに自分を見せるのが怖かったからですね。
数年前から毎日発信するようになったとはいえ、それでもやはり、今に比べて世界への安心感が少なかった。
世界に自分を開示するのが怖かった。
だから、自分の考えたこと、感じたことを極力一般化、抽象化して、影織濃度を薄めて出していたのです。影織濃度ってなんだ。
なぜ人間らしくなってきたの?
それと関連して、こういうの出しちゃダメだよね...嫌われちゃうよね...と禁じていたことを思い切っていくつかやってみたことがあると思います。
・空想世界のことを話す
・スベる覚悟でギャグを言う
・下ネタを言う
・しょうもない(と自分では思う)自身の体験、考え方を話してみる
など。
書くたびに、「これで離れていったら仕方ない、残ってくれる人だけ読んでくれ」と祈るような気持ちで投稿して、
実際、それで大きな問題があったかと言うと、何もなかったのです(離れた人もいるかもしれないけれど、自分の知覚できる範囲では何もなかった)。
自分はこの世界に受け入れてもらえない、居場所がない、みたいな漠然とした怖さから、世界への安心感が増えたことで、自分の禁じ手を解放することができましたし、
禁じ手を使ってみることで、また世界への安心感が一つ増えたのです。
ちなみに、世界への安心感を増やすための最初の一歩はなんだったんだろう、と考えた時に、
「めっちゃ怖いけれど、どうしてもやりたいからブログを始めて発信してみる」
というところだったのかな、と思いました。
やりたいは怖さを超えてくるのですよね。
でも、完全には怖さがなくなることはないので、怖いまま、進みたい方へ進むのです。
安心できるまで待ってみても、いつまでも安心はやってこない。
怖いまま行動に移して、「大丈夫だった」を一つずつ体験することで初めて、一つずつ安心を知っていくことができるのだと思うのです。
まとめ
外に向かって自己表現するのって、怖いですよね。
わかる。
でも、世界を信頼できるようになっていくと、自分を見せられる幅が少しずつ広がっていくのです。
そして世界への信頼を増やすためには、怖いけれどやってみたいと思うハードルを飛び越えてみることが大事なんですね。
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