※本日、まとまらない脳内垂れ流し長文日記です。
マジでまとまってません。




向き合いたくないことと向き合うきっかけ


最近ある人に、

精神世界を大事にする時、同じくらい自分の肉体も重視していかないといけない」というアドバイスをいただきました。

その時に、

肉体の喜び、女性としての喜びをもっと感じて

と言われたんですね。

ファッションとか、メイクとか、スキンシップとか


その時、めちゃめちゃ強く

い゛や゛だ!!

と感じたんですね。

  • ほ〜なるほど〜

と言いながら、心の中ではいやだ、いやだ、うるせぇクソが〜〜〜〜〜!!と三歳児になって大暴れしていました(三歳児はそんな暴言吐かない)。


人にアドバイスをもらった時に、ここまで強烈にぶん殴られたような感覚と抵抗感が出てくるのは、久々かつ新鮮だったので、こうして記事にしているわけです笑



どうしたらいいのか

  • 男でありたかったとは言わないが、無性別な生き物でありたかった...
    そう、カタツムリみたいな...
  • なんで人間はカタツムリじゃないんだろう...?(哲学)

「女性らしさが...」「女性としての...」という部分に、今でも相当こじれを持っているらしい。

持っているらしいというか、持っている。

知ってた。


そこだけは、あんまり見ないふりして生きてたいんですけど、本当それ以外腹筋でも背筋でも何でもするから...許して...

という気分なんですが、それだけ向き合いたくない部分って、向き合うほど人生変わるんですよね、知ってる...吐きそう...( ˘ω˘ )


吐きそう...(もう一回言った)



自分ではどうしても考える時に抜け落ちてしまう部分、
無意識に見たくなくて目を逸らしてしまう部分。

そこは、人からのコメントやフィードバックを通してしか気づくことができません。
自分で自分の背中を見るのが難しいのと同じで。


これまでもそれなりうまくやってきたんだから、見ないふりしてもいいじゃん?
という頭の声も聞こえます。


でも、「おまえね、カタツムリじゃなくて人間の女だよ」という事実に打ちのめされたからには、直視せざるを得ないんですね。

いま見ないふりしても、結局先送りされて、将来課題として現れるので。


  • 自分が女性だということを、普段殊更に認識したり受容したりしなくても、生活はうまく回っていくし、仕事も対人関係も問題なくやれているし。
  • 男か女かじゃなく、人間という括りでいいでしょ。

そんな結論で、これまでずっと先送りにしてきた部分だったのですが、「肉体」について考えると、やっぱりこの問題に戻ってきてしまうんだな、と思ったのです。



まとまらない

まとまらないので、「まとめ」じゃなくて「まとまらない」。


良薬口に苦し、と言いますが、ここまで苦い薬は本当に久しぶりです。


が、多分読む人によっては、
  • この人何に苦しんでるんだろう...?
と全然意味のわからない記事になっている気がします。


ファッションを楽しむとか、メイクにチャレンジとか、スキンシップするとか、全部楽しそうじゃないですか。

それはそう。
例えばアーティストとして着飾ろう、とか、ビジネスで使えるメイクを学ぼう、ならまだ大丈夫。


でもここに「女性として」という前提がつくと、途端に殻にこもると気づきました(カタツムリだけに)。

見なくてはいけないね...


ということで、七顛八倒内観タイムに突入してきます。


心理的抵抗が大きすぎて内観用の質問を作れず、
ChatGPTパイセンに宿題をもらってきた。