300枚近く生成した結果、ようやく至高の一枚ができたので、スマホのホーム画面にセットして、ニコニコしていました笑
いや〜満足満足〜(๑╹ω╹๑ )
そんな中で、直接お金になるわけでもなく、人のためでもなく、ただ自分の楽しさをどこまでも突き詰める時間って、とても大事だよな...と思ったのですね。
楽しむための大義名分はいらない
一方で、自分の楽しさを追求することを、時々ちょっとやましく感じてしまうことがあります。
これは仕事だから、とか、
〇〇に役立つから、とか、
そういうわかりやすい大義名分が必要な気がしてしまうんですね。
(別に、誰にもそんなモノを出せって言われてないのにね)
そう言う大義名分があれば、楽しむことの免罪符になるような気がして。
や、別に、ただ楽しんでもいいじゃん( ˘ω˘ )
楽しむこと = 不真面目にふざけること = 悪
楽しむこと = 周りに迷惑をかけ、傍若無人に振る舞うこと = 悪
楽しむこと = やるべきことをサボること = 悪
...のように、楽しむことと、悪いことをセットで考えている人ほど、楽しむのが苦手になるように思います。
本当に、それセットなのかな。
自問してみて、それが悪でないと真に気づいた時、免罪符は要らなくなるのだと思うのです。
まとめ
Disce gaudere. [楽しむことを学べ]と言うセネカの言葉(『倫理書簡集』23.2-3)を思い出します。
お気に入りの指輪の裏側にも彫っているくらい大事にしている言葉なのですが、まぁ、しょっちゅう忘れてしまうな、とブログを書きながら思いました笑
楽しいことを、ただ楽しみたいよね。
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