今からずっと前のこと。
私は、大恋愛ののちに大失恋した友人の話を聞いていました。
波乱万丈のストーリーを話した彼女が、最後にポツリと、
- 今、私、ものすごく「生きてる」って感じがするの。
と言っていて、当時の私は、
- わかるよ...すごくわかる...
と同意したのを、ふと思い出しました。
同時に、今の自分から見て、自分のその共感を
- いや、そうじゃねぇだろ
とも思ったんですよね。
ジェットコースター的人生?
10年弱くらい前、私はこんな感じのことを考えて生きていました。
- 人生は問題があってなんぼでしょ!
- やっぱ波乱万丈でないと生きててつまらないよね!
- 数々の試練を乗り越え、苦難と闘い、最果ての地で栄光を掴み取る、これぞ人生...ッ!
そして、この思想を体現するごとく、体当たり人生を送っていました笑
波乱万丈、大問題...そうしたものは、全部刺激です。
刺激から生きる実感を得る生活は、楽しいのです。
ドキドキハラハラして、次の瞬間が読めなくて、私、どうなっちゃうの〜っ!?
そうした感情の振れ幅や落差が、強烈な快楽になるので。
でも、刺激から生きる実感を得る生活は、苦しいのです。
そりゃそうです。
喜びに打ち震え、死にたいほど絶望して...それだけ心がアップダウンし続けたら、疲れ切ります。
刺激を求めるスパイシー人生もまたありだとは思うのですが、
目の前の心のアップダウンにばかり振り回されて、未来自分はどう生きたいとか、何がしたいとか、そう言う部分が全く見えなくなるんですよね。
生きるって何だろう
なんだろね。 |
今、人生ってどういうものだろう?と改めて考え時、
自分の真ん中にいて、自分を極めることが人生だ、という言葉が浮かびました。
何かに挑戦するとか、そう言う静かなドキドキやハラハラはあるのですが、今の自分の人生には過剰な刺激は必要ないな、と感じます。
むしろ、過去を振り返って、波乱万丈の問題だらけだった頃、自分の人生から思いっきりコースアウトしている状態だったな...と今では思います。
自分じゃない何者かになろうとすることで、派手な摩擦を起こして、大問題が起きていたんだなぁ。
生の実感とは
生の実感って、強烈な刺激の中で儚く感じるものではなくって、
パートナーとトンカツを一緒に揚げて美味しく食べたとか、
海に入って気持ちよかったとか、
そういうところにあるんだと思うのです。
それは別に、
「いま目の前にある幸せに感謝しましょうね〜」
みたいな上っ面なことを言いたいわけではなくって、
本当に好きな人と一緒に過ごして、
本当に好きなものを食べて、
本当に好きな場所にいて...
自分が心から大事だ、好きだと思うものを選択し、身の回りに置いて、それをじっくり味わうことこそが、生の実感ではないかと思うのです。
強い刺激に振り回されていると、その好きなものが全部わからなくなるんです。
自分に合っているか、好きかどうかじゃなくって、強烈なドーパミンを出してくれるかどうかを基準に判断してしまうので。
先ほど、自分の真ん中にいて、自分を極めることが人生だと思っている、と書きました。
その話ともまさにリンクします。
自分の真ん中にいて、自分の好き嫌いを知っているから、大切なものに囲まれて、安心して生きることができるし、
自分の大事にする価値観をコンパスにして、己の生きる道を切り開いていけるのです。
そうして、あぁ自分を生きてるな、幸せだな、と実感しながら生きるのが人生だと思うのです。
まとめ
と言うことで、影織の人生観のお話でした。
やっぱり「自分の人生を生きる」というのは、どうしても伝えたいことで、つい力を込めて暑苦しく語っちゃうね(๑╹ω╹๑ )
必要な誰かに届けばいいな。
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