内観が上手になっていくと、嫌なことや辛いことがあっても、後から、
「これを学ぶために起こった出来事だったんだなぁ」
と、まるで仙人のように穏やかな気持ちで振り返ることができるようになっていきます。
仙人 = 何も辛さを感じなくなるってこと?
辛いものは辛い。
いくら内観上手になっても、事件が起きた直後は、ガーンとショックを受けたり、落ち込んでめそめそしたりすることはよくあります。
また、悩みの渦中では、苦しかったり、ジタバタ悩んだりすることも多いのです。
私自信、最近もちょっと深めに悩んでいたことがあって、ぐるぐるどんよりした気分でいました。
しかし、自分の思い込みを発見をして、それが自分を苦しめていたと気づいた時、フッと楽になる感覚があったんですね。
これをしなければならない、あるいはこれをしてはならないと言う思い込みが、そもそも必要のないものだった、幻だったと気づいたら、悩む必要がなくなるので、そのタイミングで軽くなるのです。
ということで、ネガティブな感情がなくなるわけではないけれど、辛さに囚われて前に進めない...という時間が短縮される、とは言えるかもしれません。
我慢しろってこと?
嫌なことや辛いことも、全部学びの一つとして、我慢や忍耐しないといけないということなのか?と言う意見も出てくるかもしれません。
そうではありません。
心に蓋をするがごとく我慢するのでなく、心の蓋を開けて、自分と深く向き合い、自分がどんな思い込みを持っているから苦しんでいるのかを、まず真剣に探し出すのです。
それが自分の思い込みに過ぎなかったんだ、と気づいたら、少しずつ手放していけます。
そうして後から振り返った時に、この思い込みを見つけるために、あの嫌な出来事が必要だったんだと後から意味付けできるようになるのですね。
その事件が、「ただ辛くて嫌だった出来事」という捉え方から、「観念を変えるヒントとなった出来事」という捉え方に変わるのです。
まとめ
今回は、かなり抽象的なことを話したので、ちょっとわかりにくかったかもしれません。
なるほどわかった!というあなたは内観マスター。
よくわからない、もっと知りたい、という方はこちらへどうぞ。
このあたりの記事も参考までに。
【保存版】自分の観念・信念(思い込み)に気づく方法、それを変えたくない時の考え方
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