自分より影響力がある人が、
とても素晴らしいブログ記事を書いていたり、
自分から見てはるかに素晴らしい人が、
素敵な作品を作っていたりするのを見て、
あっ、自分の出すものなんて、ちっぽけで意味ないかも...( ˘ω˘ )
と引っ込めたくなる人はいますか。
はい、過去の私です。
こんな素晴らしい人が、素晴らしく発信しているんだから、もう自分の言葉や作品には意味ないじゃん...という拗ねた気持ち。
あるある。
自分の出すものに意味なんてないのか
こういう時に、
「人はみんなオリジナルな存在で、素晴らしいんだ」などと言われても、
あ?(# ゚Д゚)
自分のものが素晴らしいと思えないんだから、困っているんだよ!
そんな綺麗事言われたって、そもそも素晴らしいって思えてたら悩んでないわ!
ってキレたくなりますよね笑
この悲劇のそもそもの始まりは、自分と誰かを比べてしまったこと、
そして、そこに順位付けがあって、上位になることこそ正しい、と思ってしまったことではないかと思います。
あの人は優れていて、私はそれより劣っている。
さらに上を目指して勝ち上がり、のし上がらなくてはいけない。
負けてしまったら、この場所を去らねばならない。
そんな一人順位決定戦を始めてしまったから、苦しいのです。
本当は、そんな順位決定戦はどこにも開催されていません。
SNSの影響力(いいねやリツイートの数、フォロワー数など)、PV数、売上高などなど、数値が目につきやすいから、それを元に上下を判断しやすくなってしまうので。
数値は大小がはっきり見えるので、
多いものほど良い、少ないものほど悪い、
と評価を下しやすいんですね。
でも、もう一度書きます。
本当は、そんな順位決定戦はどこにも開催されていません。
自分の中で、勝手に比較する人たちを集めて、
自分の中で順位決定戦を開催して、
自分でダメージを受けているんですね。
なぜ一人順位決定戦を開催してしまうのか
勝てば愛され、人に受け入れてもらえると思ってしまうからではないでしょうか。
一等賞になれば、一番愛される。
一等賞になれば、一番賞賛され、尊敬される。
だって、小さい頃からずっとそうだった。
でも、落ち着いて考えてみてください。
好き嫌いと順位付けは関係ないものです。
例えば、世界で一番読まれている本は聖書だそうなのですが、
あなたが一番好きな本は、聖書でしょうか。
また、世界で一番歌われている歌は、Happy Birthday to Youだそうなのですが、
あなたがカラオケで一番よく歌う大好きな歌は、Happy Birthday to Youでしょうか。
そういうこともあるかもしれませんが、そうではない人が大半ではないかと思います。
それに、好きな本や歌だって、たった一つとも限らないでしょう。
いくつもあっていいはずです。
一番有名だからと言って、一番愛されるわけではないですし、
一番有名だからと言って、それだけしか人に愛されない、というわけでもないのですね。
改めて、自分の出すものに意味はないと悩む時は
悲劇の始まりは、自分と誰かを比べて、そこに存在しないはずの順位付けをしてしまっていたからで、
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