あの人の言動、信じられない!理不尽!
あの人、おかしい!意味わからない!最低!

...となるべく言わないようにしたいなぁ、と心がけています。
(言いたくなる日もたまにあるけどね)




人生とは、時と場所によって、役割を変えて立ち回る劇場だ、と思います。

ある時は被害者、ある時は加害者。
ある時は先生、ある時は生徒。
ある時は助ける人、ある時は助けられる人。
ある時は理不尽な目に遭った人、ある時は理不尽な目に遭わせた人。

ずっと片方の役割に居続けることはできないものです。




あの時に断罪したあの人と、
全く同じ行動を取っていた瞬間が、過去にあったかもしれない。
全く同じ行動を取ってしまう瞬間が、未来にあるかもしれない。


そんな過去を思い出した時や、そんな未来がやってきた時、
「あぁ、あの人は、こんな気持ちであんな行動を取ったんだな...」
と初めてわかるものなんですね。


それに気づくと、誰かを断罪して切り捨てることは、
過去や未来の自分を断罪して切り捨てるような感覚になります。



されたことを何もかも笑顔で受け入れよう、
理不尽も我慢して飲み込もう、
...という話ではなく、


自分もまた、その役割を担うかもしれない、と本気で思えた時、
ただ相手を断罪して正義の鉄槌を振るうだけでなく、
相手の行動の裏側を思う余裕が生まれるのではないか、と思ったのでした。





まとめ

正義は、正しい(そりゃそうだ)。
正しいことなのだけど...

それを振りかざすことで、もしかしたら自分を追い込んでしまうことだって、あるのかもしれない。