人に悩みを相談された時、
「こんな風にしたらどうかな?」
と提案することがあります。すると、
「ああそっか、気合いでそうしたらいいんだね...(ため息)」
という返事をもらうことがあります。
例えば、転職したいけどできない、と悩んでいる人に、「やってみたら?」という時。
「そっか、気合いでエージェント登録とか始めてみたらいいんだね...(ため息)」
みたいな。
気合いね、気合い、うん... |
ハードルを下げよう
結論から言うと、気合いだけで進むのは難しいです。
進めたとしても、息切れしてしまう(過去に私もそうだった)。
全然始めよう、始められそうだ、という思いを伴わないのに、
いいからやるぞ、と思い込むのは、大分困難です。
だから、まずは「それならできそう、やってもいいかも」という納得感が必要かなと思います。
上の例なら、この人は転職活動のハードルがめちゃくちゃ高いのかもしれない。
じゃあ、どうなったら、「それならできそう、やってもいいかも」ってなれるだろう?
そんな風に自分に問いかけて、ハードルの方を下げるのです。
自分が気合いで背伸びするんじゃなくってね。
いけるわ。 |
あるいは何に悲しんでいるだろう?
「ああそっか、気合いでそうしたらいいんだね...(ため息)」
という言葉には、
「気合いが足りないだけでしょ、どうせ自分が悪いんでしょ」
という静かな怒りが滲んでいるように感じます。
その怒りのもう少し深い部分には、悲しみがあります。
「なかなか思うように進めない自分がもどかしく、悲しい」かもしれないし、
「本当は辛い、やりたくないって、(他人にも、自分にも)わかってもらえなくて悲しい」かもしれない。
一体何が悲しいんだろう?
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