例えば、我ながらよくできた、と思った作品を人に見せたら、面白さがわからないと言われてしまった。
それ以来、創作したい気持ちが失せてしまった。
例えば、すごくお気に入りの服を着てデートに行ったら、相手にダサいと笑われてしまった。
それ以来、その服を着て出かけるのが、なんとなく嫌になってしまった。
そんな風に誰かに否定された時、好きだな、いいなと感じていた気持ちが、自分の中ですっかりしおれてしまう...ということがあります。
私もそんな経験が何度もありました。
それいいね!とわかり合いたかったのだろう
こうした経験が苦しいのは、
「自分がいいなと感じているものを、相手も同じ熱量でいいなと思ってくれる、と信じていたから」
ではないかなと思います。
その当てが外れて、苦しむんですね。
「自分がいいなと思うものを、一緒に分かち合いたかった」
とも言えるのかもしれません。
わかってもらう=受け入れられること?
もう少し深く考えてみると、
「自分の感性をわかってもらうこと = 他人に受け入れてもらうこと」
と信じていたから苦しかったんだな、とも気づいたんですね。
自分の感性(でいいなと思ったもの)をわかってもらえないということは、
自分の存在そのものを受け入れてもらえないこと。
自分の感性(でいいなと思ったもの)を否定されるということは、
自分の存在そのものを受け入れられないと言われること。
そんな風に感じていたから、
自分がいいな、と思うものを誰かに否定されたら、深く傷ついていて、
受け入れられるために、人の意見に合わせて、自分がいいと感じた思いをわざわざ萎れさせていたのだ、と気付いたのです(衝撃)。
わかってもらえなくても大丈夫
そこまで考えてから、改めて落ち着いて考えてみると、
感性をわかってもらえなくても、一緒にいてくれる人はたくさんいるぞ。
感性はバラバラでもすごく仲の良い友達がいるぞ。
と気付いたんですよね。
さて、ここでベン図をイメージしてみましょう。
自分の赤丸と他人の青丸、
どこかしら重なる紫の部分があれば、仲良くできるのであって、
円同士がぴったり重なる必要はないんです。
自分がいいなと思うけれど、相手にわかってもらえない部分は、赤の部分であるという、ただそれだけ。
そこを無理やり紫色にしなくてもいいし、
赤色部分から外そうとしなくてもいいんですね。
まとめ
自分の好きなものが人にわかってもらえず、
自信を無くしてしまう時。
自分の好きだという気持ちを折ろうとしてしまう時。
そういう時は、ベン図を思い出してみるといいかもしれません。
自分のいいねが、他人にいいねされなくても大丈夫。
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