お金がないと死んでしまう、という不安と向き合った日記です。
※まぁまぁ長文になりました。
なぜお金がないと死んでしまうか
まず最初に頭に浮かんだのは、「お金がないと、自由がなくなるから死ぬ」という思いでした。
私の場合、お金があったから、辛い実家を出て一人暮らしを始めることができました。
そのため、もしお金がなくなると、実家に戻らないと行けない、つまり自由を失うと思い込んでいたんですね。
そうなったら再び人生を親に支配される事になり、死にそうなくらい苦しむ、だから「お金がないと死ぬ」という、とてつもない恐怖を感じているんだな、と気づいたのです。
自由とお金を分ける?
とはいえ、そこまで考えて「自由=お金を持つ」でなく「自由=主体的な選択」ではないかとも思いました。
例えば、一緒にいて苦しい相手と別れて自由になる、という選択をしたことがありますが、それはお金を積んだからじゃなく、その人と距離を置く、と自分で決めたからでした。
だったら、お金と自由を切り分けて考えてもいいじゃない?
...そう頭で思っても、
「人の顔色を伺って、息を潜めて、自分を殺して生きる経験はもうしたくない。
でも、万が一また流されちゃって、支配されたらどうしよう」
という恐怖があまりに強く、自由とお金との切り離しが怖くて仕方なかったんです。
ボイトレで学んだこと
ところで私、少し前からボイトレを習い始めたんです(いきなり何の話?と思うかもしれませんが、しばしお付き合いください)。
レッスンで、はっきりと強くハリのある歌い方を練習していたのですが、
私はいつも、息の漏れた弱い声や、奥に引っ込みがちな声を出す癖がありました。
先生曰く、
「心理状態や育った環境によって出しにくい声もある、でもやり方を身につければ使える」
とのことで、少しずつそういう歌い方を身につけ始めていたところでした。
自分にとっての自由、
つまり、人の顔色を伺って、自分を殺すことからの解放について考えていた時に、
そのボイトレの練習のことをいきなり思い出したのです。
私は、強い声の出し方をこれまで知らなかっただけで、本当は出せるんだ。
出せるやり方を教えてもらって、知ったから大丈夫なんだ。
抑え込むだけじゃない選択ももう選べるんだ。
そう気付いた時、めっちゃくちゃに泣けたんです。
なんでこんなに泣いてるのか?と、私自身マジで意味わからなかったのですが笑、とにかくものすごく涙が出てきたんですね。
自分の自由を守ってくれるのは、お金でなく自分自身だ
もう少しちゃんと言語化してみると、
お金がなくても、どんな環境にいても、自分を強く前に出す・弱く抑える選択を自由に選べるから、「お金がないと(自分を殺して)死ぬ」は、もう手放していけそうだ、
と魂が理解したような感じだったんですね。
私は、お金を信じていたのです。
お金が、支配から逃れ、自分の自由を守ってくれる唯一のツールだと。
でも今回の一件で、
お金ではなくて、主体的な選択をできる自分を一番に信頼しよう、
と心から思えたのだ、とも言えるのかもしれません。
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