昨日の記事で、評価と信頼の話が出てきたので、もう少し深掘りして考えてみた日記です。
信頼を裏切りたくない?
昨日は、「悪い評価を得て、信頼を失うことが怖い」というようなことを書きました。
信頼を失って、そのコミュニティにいられなくなってしまうのが恐ろしいので、
例えば仕事する際なら、もっともっと技術を身につけ、すごくなっていい評価を集め続けなければ、自分を削ってでも死ぬ気で頑張らねば...という気持ちがあると気づいたのです。
それについてじっくり考えていて、「相手の期待を下回りたくない」、という言葉が浮かんで、ふと、ん?とひっかかったんですね。
信頼と期待って、何が違うんだろう。
信頼を裏切ることと、期待を裏切ることって、何か違う気がする。
信頼と期待の違い
その中で、こんな記事を見つけました。
> 「信頼」と「期待」と「放置」と「逃げ」の違いについて
この記事の中の以下の図が、すごくしっくりきたんですよね。
図は上記リンクの記事より抜粋 |
記事には信頼と期待がこのように定義されています。
「信頼」・・自分にとって良い結果、悪い結果になろうともそれを受け入れる覚悟ができている状態。つまり、相手のことを丸ごと受け入れている状態。
「期待」・・自分にとって良い結果のみを望んでいる状態。つまり、相手を丸ごと受け入れているわけではない。
また、同じ執筆者の方のnoteで、上記ブログ記事を元にしたという、こちらの記事もさらに参考になりました。
相手の人が自分と別れる・別れないっていうふうに悩んでいるときに、自分が別れたくないので相手が別れないっていう選択をしてくれることを期待するわけですね。
これは「期待」っていう表現を使うんですね。
なので、相手の人が別れるっていうことを選択した場合、グサッと傷ついてしまうわけですし、なんか裏切られたような感じっていう思いを抱きます。
心の世界ではこういうことが普通に起こってくると思うんですけども。
「信頼」っていうのは、相手を信頼するっていうのは、別れる・別れない、どっちの選択肢を相手が選ぼうとも、自分がそれを受け入れる覚悟ができてる状態であり、相手の選択を支持するという立場というか、支持するっていうことが信頼っていうことになるんですね。
だから今日先ほど冒頭の方で言いましたけども、「信頼していた彼に裏切られた」っていうのは、今の信頼の定義から言うとありえないんですよ。
なぜかと言うと、相手・彼が自分の望まない選択をするっていうことも含めて丸ごと受け入れてる覚悟ですし、その選択を支持するっていうことを信頼って言うので、だから信頼っていうのは裏切られないわけですね。
ところが期待っていうのは、自分が望ましい結果、自分にとって望ましい結果・選択というものを相手に望んでいるために、そうでない行動・選択をした場合に裏切られたように感じるっていうわけなんですね。
期待を裏切ることと、信頼を失うことは同義ではない
そこまで考えて、
自分が本当に恐れているのは、期待に応えられなくて見捨てられてしまうことであって、それは信頼を失うことと違うのでは...
と気づいたんですね。
同時に、信頼と期待を同じものだと捉えていたことにも気づいたのです。
完璧に期待に応え続けるって、無理なことです。
どうしたって、失敗することもあるし、自分にはできないこともあるし、やりたくないことだってあるのですから。
期待に応えられないと、信頼を失って、切り捨てられてしまう...という流れは不自然です。
もし相手と信頼関係にあったのだとしたら、期待に応えられないことがあっても、助けてもらったり、受け入れてもらったりできるでしょう。
そこで一発アウトの退場...となってしまうのだとしたら、そこに信頼関係はなかったのだ、と言ってもいいのかもしれません。
そんなことをつらつら考えていて、自分を苦しめる期待は手放そう、と思ったのです。
期待を背負う、期待に応える、期待通りに振る舞う。
そのために死ぬ気で、自分を削るのはやめよう、と思ったのです。
しかし、手放そうと思った時に、「嫌だ!!期待を手放したくない!!!」と強く感じたんですね。
自分の首を絞めるもののはずなのに、どうして...?
まとめ
というところで、長くなったので一旦切って、また次回。
信頼と期待は別のもので、誰かの期待に応えられないからといって、その人の信頼を裏切るわけではないというお話でした。
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