当時のことは最近全然思い出すこともなかったのですが、
その頃の生々しい悩みの吐露のメールを見て、
「おぉぉ、自分はあの頃こんなになっていたのか...」
とびっくりしました。
その頃の生々しい悩みの吐露のメールを見て、
「おぉぉ、自分はあの頃こんなになっていたのか...」
とびっくりしました。
中身を見てみると、
「あの人がこうしたから辛い」
「あの人がこう言ったということは、こう考えているのかもと不安」
「今度はあの人がこうしてくれなくてしんどい」
などと、とにかく目の前にいる人々の一挙一動に振り回されて、疲弊していたのですね。
そして最終的に、
「いっそ20代前半くらいでサクッと死ねたらちょうどいいのに」
みたいな悲壮感あふれる結論に至っていました(今は微塵も思ってない)。
自分を変えるということ
自分以外の人間が考えていることをいくら推察しようとしても、
自分の外側にあるものをいくら思い通りに変えようとしても、
とても難しいのです。
自分にできることは、自分の考えていることを見つめること。
そして、自分の内側や、自分の置き場所や行動を変えること。
そのトライ&エラーの繰り返しをしない限り、人生における幸福度はなかなか増えない、と言えるでしょう。
そう言うと、
「これだけ頑張って我慢しているのに、なんでさらに自分を変えないといけないんだ...!あいつらが変わってくれて然るべきだろう...!」
と恨み節全開になるかもしれません(超わかる)。
でも、変わる、と言うのは、いま我慢してねじ曲げている自分を、さらに無理な方向にねじ曲げろ、ということではありません。
むしろ逆で、ねじ曲げた自分を戻す方向に変えていく、と考えるといいのかもしれません。
しんどさを手放す。
我慢をやめる。
最初は手放す方が辛い
人によっては、手放すよりも握りしめるより方が、一見楽に感じられるかもしれません。
嫌だ、助けて、と声をあげるより、しんどい状況を忍ぶ方が楽。
意見を主張して人と摩擦が起きるより、我慢する方が楽。
それ、超わかる。
一度悪い姿勢が癖になると、正しい姿勢に戻した時に、背中や肩に痛みや違和感を感じるように、
しんどさや我慢は癖になると、それを手放す楽なやり方が逆に辛い、おかしいのでは、と感じやすいものです。
しんどいことをやめようとすると、最初は違和感バリバリ全開でしょう。
いきなり慣れない自己主張をしたことで、人とぶつかってしまうかもしれません。
あなたを都合の良い人だと思っていた人からは、鬱陶しく思われることもあるでしょう。
でも、その違和感や痛みを感じながら、一つずつ自分の本心と向き合って、行動を選択することで、少しずつ自由が広がっていくのです。
その結果、とにかく人生がやさしく(優しく/易しく)なっていく。
周りに、素敵な優しい人が増えていく。
いや本当に。
最初はうまくできないこともあるかもしれません。
失敗して火傷することもあるかもしれません。
でも、それも全部糧にして、少しずつ前に進んでいきましょう。
怖いかもしれないけれど、大丈夫。
まとめ
私もいまだに怖いことがいっぱいあるのですが、それでも意外となんとかなるのです。
一緒に怖がりながら、やさしい選択をしていきましょう。
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