何かものづくりしていても、ぼんやりしていても、時々、
「こんなことしても意味がないよな...」
という思いに駆られることがあります。


それをする意味


「こんなこと...」と思ってしまう「それ」をする意味ってなんでしょう。

それをすることで、目の前の誰かを喜ばせられるとか、
お金が入って自分の生活が楽になるとか、
そういうわかりやすいものは「意味がある」と感じやすいかもしれません。


では、自分の満足のために何かを作るとか、
空や高い木を見上げるとか、
そういうことには意味がないのでしょうか。

もしかしたら、意味はないのかもしれません。


では、「それ」をすることに、そもそも何か意味は必要でしょうか。
意味がないことは、しなくていいことでしょうか。
意味がないことは、してはいけないでしょうか。
そもそも意味ってなんでしょうか。


意味を求める窮屈さ


「私の人生の意味はなんでしょうか」
「こんなことをすることには、意味がない気がします」

そうやってしつこく意味を探り当てようとする時、本当はちょっと腹を立てているのではないかな、と思います。

意味のないことをしちゃいけない、有用でないといけない。
そういう見えないプレッシャーが息苦しい。
のびのび楽しみたい。ただそのまま愛したい。
それを制限されている気がして、その窮屈さに心の深いところでイライラしているのではないか、と思うのです。

これは役立つ、役立たないとか、
これはいいもの、悪いものとか、
制限は、いつだって自分で決めているものです。

今感じているその窮屈さだって、本当は自分で決めているものかもしれない。

意味にとらわれてイライラする選択の反対側には、
ただそのまま楽しむ選択もあるはず。

どちらでも、自分で選べるんですね。