こちらの本を読んでみました。
この本、初版は1988年と古い本で、実家の本棚にありました。
「なまけ者のさとり方」というタイトルから、子供の頃に
「わー!動物のナマケモノのお話かな?」
とワクワクしながら読んで、何を言っているか全くわからず、撃沈した記憶があります笑
(※どこにもあのナマケモノは出てきません)。
先日Kindleストアを見ていた時、20年ぶりくらいの再会を果たし、
「おぉ、あの時のなんだかよくわからなかったナマケモノの本...」
と思わず惹かれて読んでみました。
なんの本?
商品説明は以下の通り。
ほんとうの自分を知るために、なにをしたらよいのか。宇宙や愛や人生の出来事の意味はなにか。難行苦行の道とはちがい、自分自身にもっとやさしく素直になることで、さとりを実現する方法を具体的に語り明かす。
愛とは何か?「さとり」とはどんな状態か?について書かれている、いわゆるスピリチュアルの本です。
新興宗教?怪しい話?洗脳?...と身構える人もいるかもしれません。
ですが、本書は、愛とは、人生とは何かについて、何か本質的でとても大事なことを言っているな...と感じる本でした。
この本に一貫する主張は、冒頭で述べられている次の文に集約されます。
「私達はみな平等です。そして宇宙とは、私達のお互い同士の関係です。宇宙はただ一種類の実体からできていて、その一つひとつが生命を持ち、一つひとつが自分の存在の仕方を自分で決めています」
お分かりいただけるでしょうか。ぶっちゃけ私にもよくわかりません。
でも、多分わからなくても大丈夫です。
この本によると、生きもののは振動数(バイブレーション)を自分でコントロールしていて、
拡張して、愛や意識を広げて全てのものと一体になるような方向に動いたり、逆に収縮して内にこもって、コチコチになったり、その間の状態を揺れ動く、のだそうです。
と、言ってもやっぱりなんだかぴんと来ないですよね。
バイブレーションってなんだろう?
何が拡張したり収縮したりするの?体?心?
とりあえず保留にして進んでいきましょう。
そして、あらゆることへの抵抗をすっかりやめて、「さからわないこと」が、さとりへの道だ、と書いてあります。ふむ。
本書を読み進める中で、あぁなるほど、と思った箇所を2箇所、抜粋してみたいと思います。
一般に、さとりの恍惚状態を維持するのは不可能だと思われています。そのような状態は、一瞬のうちにどこかへ消え去り、再び追い求めなければならないと、みんな思い込んでいます。どうしてそうなるかといえば、私達が恍惚状態を手放したくないと思っているからです。そこから離れたくないと思っているからなのです。しかし、音楽を例にとれば、次の音を聞くために、今鳴っている音を放してやれば、バイブレーションは刻々と変化してゆき、私達の喜びはずっと続いてゆくのです。
人生に悪いことが起こるのは自分の愛が足りないからだということを知ってください。(中略)これは、あなたが道徳的にみて悪いことをしたので、その報いとして悪いことが起きた、といっているのではありません。悪い出来事と、あなたが道徳的に良いか悪いかは関係ありません。自動車の存在を認めるのを拒めば、いつかあなたは自動車にひかれてしまうでしょう。それは、あなたが罪深い人間だからとか、正気を失っているからというわけではなく、ただ、自動車を見ようとしないからです。だから、自動車が来るのが見えずに、事故に遭うのです。
言葉で説明しようとすると、色々なものが抜け落ちてしまうような感じで、うまく言えないのですが、ここを読んだ時、いずれも「さからわない」とはこういうことなんだな、と感覚的に腑に落ちたんですよね。
望ましい状況に常に居続けたい、としがみつくのではなく、それが移り変わっていくことをさからわずに楽しむ。
見たくないものを、見たくないと言って遠ざけてしまうのではなく、さからわずに見つめる。
いいも悪いも(いい悪い、という判断自体がとても狭い視野の中でされた判断なのかもしれないのですが)全部自然にそのまま受け入れる姿勢が、愛するということなのかもしれないな、と思ったのでした。
まとめ
頭で順を追って理解しようとすると、なんだかすごく難しくて、受け入れ難い本かもしれません(そういう意味では、読む人を選ぶ本かもしれない)。
ふわっと心で読むというか、ほわーんと受け止める...みたいな読み方をするのがいいのかな、と個人的に思いました。
私も、一読で全部の内容を理解できたわけではありません。
何回も、スルメを噛み締めるみたいに、味わいながら読み直したいと思った一冊でした。
ぴんときたら、ぜひ読んでみてください。
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