今週は、「極力やりたいと思うことしかしない」を徹底していました。
昔に比べればまだマシにはなったものの、強固な「働かざるもの切腹教」の信者だったので、これがある意味苦行(?)だったんですよね。
止まっても生きていられる
その苦行を通じて気づいたのです。
何か特別な価値を生んでいなくても、
何かをインプットして成長していなくても、
1日のうち、長時間ぼんやりしていても、
その日はちゃんとつつがなく終わると(あたりまえ体操)。
前に比べればはるかにペースを落としたとはいえ、ずっと走り続けていたんですよね。
止まるのが怖かったので。
たとえ体が止まっていても、頭では休みなく考え続けて、
結局ずっと何かしら動き続けていたのです。
自然にできることだけする
ここ最近、なんかあんまり動けない期(よくある)が来て、
好きなことも全部ほとんどやりたくない、
何かしようにも力が出ない、とじたばたしていたのですが、
それをなんとかしようと考えることも、一旦ぽいっと放り出しました。
そして冒頭の「極力やりたいと思うことしかしない」をしていたのです。
やりたい、というか、自分が無理なく自然にできることだけをする、と言った方がいいかもしれません。
「やりたい」だと、ちょっとテンションが高すぎるんですよね。
うききっ!というテンションまで上げなくてもできること、
美味しいご飯を作って食べるとか、
好きな音楽を聴くとか、
床の掃除をするとか、
無理しないでできることをしばらくしていました。
そうして、ようやく少しずつ元気が湧いてきました。
同時に、「これをインプットしたいな」「これをアウトプットできないか」と頭も動き始めたのです。
ちゃんと止まるから、また動ける
うんうん悩んだり、じたばたもがいている方が、
立ち止まるよりも楽だったりします。
少なくとも考えている間は前進しているような気がして、
立ち止まることへの恐怖を見なくて済むからです。
でも、一旦立ち止まってみても、人生はちゃんと続いていくんです。
ご飯を食べて、寝て、また起きる。
朝が来て、夜が来る。
それは止まることがない。
頭で考えれば至極当然なのですが、
自分の行動や成果と、自分の生存が分かち難く結びついていると、
立ち止まったら人生が大変なことになる、と感じてしまうのだと思います。
行動しなくても、成果を出さなくても、ここに生きていていい。
一旦立ち止まったとしても、一生動けない人間になるわけじゃない。
パワーが溜まったら、絶対に再び何かしら動きたくなるのです。ほんとに。
まとめ
動けない時は、自分が無理なく自然にできることだけをして過ごしてみましょう。
そのうち、これやりたい、ともぞもぞ動き出したくなってくるものです。
立ち止まっても人生は続いていく。
ちゃんと止まるから、また動けるのです。
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