動く時間と考える時間
例えば、コーディングして何か実装している時、
切り絵を切ったり色をつけたりしている時、
文章を書いている時。
切り絵を切ったり色をつけたりしている時、
文章を書いている時。
とにかく何らかの作業をしている時、
「自分は仕事しているぞ、手を動かして前に進んでいるぞ」という気持ちになれます。
しかし、
新作についてぐるぐる考えている時、
アイデア探しに散歩に行く時、
ストーリーが思い浮かばなくて色々試行錯誤している時、
人生について悩んでいる時、
「自分は今日一日なんにもしていない、全然前進していない」と焦ることがあります。
新作についてぐるぐる考えている時、
アイデア探しに散歩に行く時、
ストーリーが思い浮かばなくて色々試行錯誤している時、
人生について悩んでいる時、
「自分は今日一日なんにもしていない、全然前進していない」と焦ることがあります。
でも、手を動かして成果物を生み出す時間だけが善、というわけではないんですよね。
悩む時間も、方向性を考えて立ち止まる時間も、インプットする時間も、同じくらいに大事なんです。
動く時間と考える時間、どちらもあるから進んでいく。
どちらかしかなければ、進めない。
常に成果を出し、成長し続けないといけない、という気持ちがあると、悩んでいる時間がもったいない、よくないと感じやすいのかもしれません。
アウトプットだけが成長ではない。
成長することだけが善ではない。
成長することだけが善ではない。
そう考えると、焦りにくくなるのではないかな、と思います。
まとめ
「成長すべき」「結果を残さねば」に追われがちな人(自分も含めてそうですが)は、上の2文について、繰り返しじっくり考えてみるといいのかもしれません。
アウトプットだけが成長ではない。
成長って、なんだろう?
成長って、なんだろう?
成長することだけが善ではない。
善ってなんだろう?
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