昨日の続きです。
昨日は、できないこと、わからないことは恥だ、という気持ちがすごく強くて、その気持ちに振り回されてしまうことが多かったというお話と、その恥は外から植え付けられたものだから手放していこうと決めた、というお話でした。
恥の定義
早速「恥」について調べる中で、こちらの2つのTEDの動画に出会いました。
これが、傷つきやすさと恥について考えるきっかけになったのです。
(英語ですが、字幕をONにすると日本語字幕が表示されます)
恥とは、自分がしたこと、しなかったこと、理想に到達できなかったこと、目標を達成できなかったことのゆえに、人とのつながりに値しなくなるという不安である。「私は愛されるに値しない」「どこにも居場所がない」「人とつながる価値がない」という感情だ。これまでの研究から、私は恥を次のように定義した。「恥とは、自分の欠陥のゆえに愛や居場所を得るのに値しないと思い込む、激しい痛みの感情または体験である」
罪悪感は恥と同じぐらい強い力があるが、罪悪感が建設的な方向へと働くのに対し、恥は破壊的な方向に働く。恥は「私は変わることができるし、もっとよい行動がとれる」という自己への信頼感をむしばむのである。
恥を感じると、つながりが切られたように感じ、自己肯定感を取り戻そうとするから、必死になるのです。安心して過ごせる場所がなくなってしまう、というめちゃくちゃ大きな恐怖なんですね。
だから、あんなにも恥を回避することに必死になっていたのです。
恥を避けるために完璧を目指してしまう人へ
昨日の記事でちらっと話した、私の完璧主義的な行動についても触れられていました。
完璧にやりさえすれば、非難、批判、恥による痛みを最小限に抑えたり、回避できる。
回避できなかったのなら、それは自分が完璧でなかったからだ。
だからますます完璧になろう。
でも、完璧を目指すと、ますます非難や批判や恥による痛みに敏感になるから、ますます恥を感じてしまう。
...そんな感じで、地獄の完璧スパイラルに入っていたのです。
私のような人に向けては、こんなメッセージが掲げられていました。
「すべてのものにはひびがあり、光はそこから差し込んでくる」
恥を手放していく
こんなダメな姿見られたら死んじゃう。
そんな風に一人で抱え込むことで、自分の中でどんどん巨大化して、苦しくなってしまうんですね。
0 コメント