自分の中に怖い裁判官や審判みたいな厳しく判定する人がいて、
「あれはだめ。これは間違っている。なんでできないの?もっと頑張れないの?」
などと厳しく詰めてくるようなイメージがあります。
こんなことをしたら怒られてしまう、失望されてしまう、見捨てられる、という恐怖が形になったような感じなんですよね。
そして、その裁判官は、えてして親の姿をしていることが多いものです。
頭の中の判定員を置き換える
でも、それは本物の親とか、現実に存在する人物などではなく、自分の頭の中に作られた偶像に過ぎないんですよね。
作られた存在ということは、置き換えることができるんです。
偶像ということは、そこから放たれる厳しい言葉の全てを絶対的に信じなくても良いのです。
判定員に満足してもらえるように、認めてもらえるようにと自分のダメなところをなんとかしようとする行動は、もし一瞬でも叶って満たされても、
「じゃあ次はこれだ」
「これもできるように」
と無限に続いて苦しくなってしまうものなのです。
自分のダメなところ、ツッコミどころなんて探せばキリがなく、それを一つずつ潰して克服しようとしても、一生かかってしまうからです。
だから、厳しい判定員ではなく、別の優しい存在を頭に作り出してみましょう。
例えば、とても暖かい理想の先生とか、とても優しい理想のおばあちゃんとか。
例えば、とても暖かい理想の先生とか、とても優しい理想のおばあちゃんとか。
(人によっては神のような存在、と言っても良いのかもしれません)
良いんだよ、大丈夫だよ、と無条件に暖かく励ましてくれる存在を頭に置いてみるんですね。
そして、判定員ではなくて、その優しい存在に認めてもらおう、と決めます。
認めてもらおうと言っても、評価してもらおうということではなく、気持ちや行動そのものを受け入れてくれるようお願いしてみるのです。
「それは嬉しいね」
「それは残念だったね」
「いっぱい頑張ったんだね」
みたいな感じで、寄り添ってくれるような言葉をかけてもらうのです。
「それは間違っている」
「こうすべきだ」
「こういう行動をできたのは正しくて偉かった」
みたいな声が出てきたら、それは優しい皮を被った判定員なので、避けましょう(たとえ、褒め言葉でも)。
善悪の評価や価値判断を下さない、絶対的に安全な存在を一つ決めて、心に置くことで、だんだん安心して過ごせるようになると感じます。
まとめ
心に住む判定員を満足させることを手放して、
代わりに、優しい存在に認めてもらおう、と決める。
代わりに、優しい存在に認めてもらおう、と決める。
そうして、その存在と対話していくことで、少しずつ自分をダメ出しして傷つける癖を手放していけるのかなと思います。
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