いろんな活動をしているけれど、その本質となる部分は同じと気づいたお話。
自分の活動と信念は枝と幹の関係
私はARを作ったり、切り絵をしたり、Webサイトを作ったり、ブログを書いたり、色々やっています。
そんな自分に対して、以前は、
「なんでこんな色々とっ散らかったことをしているんだろう?一本に絞れないのか?」
「何をしている人かよくわからないのでは?一貫性がないのは良くないのでは?」
などという漠然としたもやもやがありました。
でも、考えていくうちに、それらの活動の本質には全て、
「世界を明るくできるような物語を、創作物を通じて届ける」
「表現を通じて自由に自分らしく生きることを体現しながら、自分らしく生きたい人を応援する」
ということがあるのだ、と最近はっきり言語化できるようになってきたんですね。
その本質の部分が木の幹のようなもので、
ARや切り絵といった活動は、その枝の部分。
だから、何か全く新しいことをやってみようとする時も、その幹の部分とさえしっかり繋がっていれば、自分の中では深い納得感をもってチャレンジできるんですね。
逆に、
「手っ取り早くお金になるから」
「有名になりやすそうだから」
などという理由だけで何か新しいことを始めてみても、この本質の幹の部分とズレてしまったら、続けることが苦しくなってしまうのです。
この本質をしっかり捉えていれば、どんな活動をしても自分らしさがぶれずにいられるのだ、と思ったのでした。
まとめ
古くなった枝はすっぱり剪定してもいいし、新しく別のものが生えてくるかもしれない。
でも、本質となる幹の部分は基本的にどっしりしている。
そういうあり方でいることで、自分らしい創作活動ができるのだなと思ったのでした。
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