イラストの描き方の技術を学んで、心の中に住む尊い推し達を具現化したいんじゃ...!
という気持ちで最近溢れています。
いきなりどうした。
空想が楽しいんだわって話
好きすぎて、そのキャラクター達の二次創作(?)まで生まれてしまうほどでしたし、受験直前の追い込みで死にそうな時期でさえ、夜こっそりノートに彼らの物語を書いていました。
時期によってはその世界から離れていたこともあるのですが、その空想ブームが、昨今いきなり再燃してしまったんですね。
気を抜くとすぐ、グヘヘ...フヘヘ...と空想世界に意識が飛んでしまうくらいに笑
そして、冒頭の一文に戻ります。
イラストの描き方の技術を学んで、心の中に住む尊い推し達を具現化したいんじゃ...!
(ついでに、一枚絵のイラストからアニメーションをつけられるLive2Dの使い方ももう学んだので、あわよくば彼らが動き出して欲しいんじゃ...!)
役に立たなければ、創作してはいけない?
なんでだろう?と掘り下げたら、
「できても人に見せたくない、その世界は自分だけの安全な場所であって欲しい」
という思いが出てきたんですね。
もっと言えば、創作したからには作品をSNSか何かで公開した方がいい、するものだという思いがあることに気づいたのです。
そして、さらに深い部分には、
「自分だけで楽しむ(人に見せない作品を作る)ための時間は、役に立たないことでよくないこと」
「社会に還元する(喜んでもらえるよう人に見せる、提供する)という条件でなら、自分も創作を楽しんでいい」
みたいなルールがあることに気づきました。
...なんだそれ?
どうやら、創作を楽しむことが、自分にとって少し後ろめたさ、やましさがあるもののようでした。
私は、創作を通じて人の役に立とうとしています。だからその引き換えに、楽しむことを許してくださいね。
そんな気持ちをごくごくうっすら隠し持ちながら、見ないふりしていたのです。
そんなぁ。゚(゚´ω`゚)゚。
「役に立たなかったら愛されない」
「役に立つ限り、ここに存在していてもいい、存在していられる」
そんな「役に立つべき」という呪縛にまだまだ囚われていることに気づいて、がっくりしたのでした。
と、ここまで書いて、役立つ問題は自分の中で根深すぎて今日のところは結論を出せそうにないな...と思ったのですが、まさに過去の記事に、ドンピシャの答えを自分で書いていました。
経験全てをどうにかして役立つ糧にしようとしなくていいんです。
経験を役に立つ/立たないで分離する必要もありません。
経験しただけで、もう既に全てが人生の糧になっているのですから。
いいこと言うじゃん、影織さん...!(自画自賛)
まとめ
と言うことで、これが今日の結論です。
役に立つ・立たないではなく、経験しただけで、もう既に全てが人生の糧になっている。
だったら、やましさを抱えずに好きなようにすればいいじゃない。
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