目標達成に向かって努力すること。
人を喜ばせること。
実績を残すこと。
その行為単体で見ると、それらはとてもいいことのように思えるのですが、
実はその裏に
「人に失望されて見捨てられないために、それをしなければ」
という気持ちが隠れていることがあります。
人を失望させたくない
子供の頃、親や先生などを失望させると、見捨てられてしまうような体験をしたのかもしれません。
仮に物理的に(家から追い出される、食べ物をもらえないなど)見捨てられなかったとしても、無視されたり、人格を否定されたり、自分の存在や感情を認めてもらえなかった、という精神的な見捨てられ経験があることもあります。
見捨てる、見捨てられるという関係は対等じゃありません。
強い人が、弱い人を見捨てる。
見捨てるあなたは強い人、見捨てられる私は弱い人。
見捨てられないように、強い人の顔色やご機嫌を伺わないといけない。
そうなると、人を失望させないように頑張り続けてしまうんですね。
失望したと言う人は、勝手に失望させておけ
誰かから「失望したら見捨てるぞ」というメッセージを受け取ったとしても、失望させた自分が悪いわけではありません。
それは、脅して都合よく人を(私を)コントロールするためのメッセージです。
だから、NOを言っていい。
自分から、NOを言っていい。
その誰かの失望した気持ちの全責任を取らなくたっていいのです。
その人を笑顔にするために、自分を削りながら必死に埋め合わせしたりなくていいのです。
まとめ
相手が満足するか、失望するかどうかは、こちらではコントロールできません。
同じように、自分が相手の期待に完璧に応える行動をとるよう、相手にコントロールされるいわれもないのです。
そこに納得がいくと、自分を削って頑張りすぎることが減っていくのかなと思います。
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