知らない街に家を借りたが心細い件
短期滞在のため、マンスリーマンションを借りました。借りたのは、住んだことのない区にある、降りたことのない見知らぬ駅のマンションでした。
着いて初日。
ちらっと見た隣人がちょっと怪しげに見えたり、
隣や上の物音が気になって、夜中、朝方と何度か目が覚めてしまったり。
そうした不安やいら立ちから、昔から住んでいる同じ東京のはずなのに、遠くへきてしまったような孤独感やさびしさも感じていました。
ですので、今日も家に帰る道すがら、(帰っても安心できないし、ちょっと帰りたくないなぁ...この街は、まだ自分の居場所じゃないなぁ...)という気持ちでしょんぼりしていたんですね。
自分の居場所はどこか
その心細さを見つめていく中でふと、さびしい、心細いなどと考えている自分が、自分の身体という器の中にいるとしたら、自分の居場所は、自分(という体)の中にあるんだな、と思ったんですね。自分(精神)は、常に自分(肉体)の中にいる。
死なない限り、ずーっと、自分の体の中。
肉体のわたしが日本にいようが、海外にいようが、生まれ故郷にいようが、見知らぬ街にいようが、精神のわたしの居場所はずーっと肉体のわたしの中で、変わらない。
生きている限り常に自分の居場所は自分の中にあって、絶対移動しない。
そう気づいたら、なんだかとっても安心したんですね。
ということで、家に帰ってこうしてゆったりとブログを書くことができたのでした。
まとめ
自分の居場所は自分の中にある。自分の居場所がないという心細さや不安感に襲われた時は、それに気づくと心が緩むのではないかなと思います。