失敗の概念が変わった話
「失敗」を辞書でひいて、ふとこんな記述を見つけました。挑戦することで得られる成果物の一形態。果実にはならないが肥料にすることができる。
これは、2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「失敗」への投稿から選ばれた優秀作品なのだそうです。
何かに挑戦して、失敗した時。
そんな時、痛い思いをしたり、恥ずかしい思いをしたりする。
もしかしたら、怖い思いをしたり、取り返しのつかないことになったりするかもしれない。
嫌だなぁ。できれば、避けたいなぁ。
そう思っていたのですが、この記述を見てとても大きな衝撃を受けたんですね。
何かに挑戦して、成功した。
そうしたら、果実が手に入る。
何かに挑戦して、失敗した。
そうしたら、次の果実を実らせるための肥料を得られる。
失うものなんてないんだ、と。
失敗しても成功しても、得ることしかできない
結果がどうであれ、得ることしかできないのだとしたら。
痛い思いや恥ずかしい思いも、経験値を得たのだと考えるなら。
何かを失ったように見えたとしても、何かを失ったという経験値を得たのだと考えるなら。
そして、その経験値が次の挑戦への肥料として使えると気づいたのなら。
さて、どうしたい?