年末、「あー、年が明けてしまうなぁ…2019年が終わってしまうなぁ…」というさみしい気持ちを感じている中で、ふと気づいたことがあったので、今日はそれを書いてみようと思います。


終わりが苦手だったけれど

一日の終わり、夕暮れ時。
友達と遊んだ時の別れ際。
引っ越しの家の引き払いのタイミング。

いろいろな終わりに際していつも、ちぎれるような心の痛みを感じることが多いです。
ひとつ終わっても、また明日が変わらず来るだろうとわかっているのに。

年が暮れ行く中でも同じような痛みを感じて、ふと、それは幸せなことではないか、と思いました。
もし地獄のように辛かったら、耐え難い時間だったら、早く終わってほしいと思うでしょうし、終わったことにほっとして、喜びさえ感じるでしょう。
でも、さびしい、終わってほしくないと思うということは、それだけ過ごした時間が充実していて、幸せで楽しかったからだと気付いたんですね。

つまり、たとえ名残惜しくてさびしくても、終わりの痛みがあっても、それは決して悪いことではないのだ、と思ったのです。


まとめ

いつも、終わり=さびしい気持ちになる=マイナスなこと、感じたくないこと、否定すべきこと…などといっぺんに考えて、ちょっと嫌になっていました。
でも、終わりがさびしくても、それは幸せゆえに感じているものであって、否定すべきことでも悪いことでもないのですね。

そう考えたら、矛盾に聞こえるかもしれないですが、安心してさびしさを感じてもいいのだな、と思ったのでした。