昨日の続きです。
聞き分けがよくて、都合が良くて、犠牲になるほど愛してもらえる」という思い込みを見つけて、そうではなく対等に愛情をやり取りしたいなと思った、というお話でした。


愛されるとは?愛するとは?

具体的に、私にとって愛すること、愛されることとは、どういうことか考えてみました。

すると、
愛されるとは、「自分が思うことを伝えて、それを理解してもらうこと」
愛するとは、「相手の思うことを聞いて、それを理解すること」
と浮かんできました(理解する=全部受け入れる...ではなく、「ふーん君はそう思うんだね」と把握する、と言うイメージでしょうか)。

思うことを伝える→わかってもらう
思うことを伝えてもらう→わかる
...とノートに何回か書いていく中で、
「あれ、どっちが『愛される』の定義だったっけ??
とふとわからなくなったんですね。

その時、どちらも同じで、「愛される=愛する」なのでは、と突然ひらめいたんですね。

思いを伝えて、理解される。
理解されて、思いを伝えてもらう。
伝えられた思いを、理解する。
理解して、また思いを伝える。
その循環。
相手との関係性を育てていくこと。
愛して愛されること。

全部同じだ、と気づいたら、聞き分けよく我慢したり遠慮したりして、本当の気持ちを黙って隠してしまうことは、実はむしろ愛情の循環を止めてしまうことではないか、と気付いたのです。
そしてますます、愛することと強者・弱者の立場は関係なく、愛情は対等にやり取りするものなのだな、という思いを深めたのでした。


まとめ

昨日今日と書いたことは、頭で理解したというより、心で理解したという感じで、改めて文章にまとめるのが少し難しかったのですが、伝わったでしょうか?

我慢や遠慮のくせは長年染みついたもので、気付いたからと言ってすぐに自分の思いをガンガン出せるようになるかというと、またちょっと難しいです。
でも、伝えようとすることが、相手への愛だと理解していれば、ほんの少し伝える勇気が湧いてくるように思うのです。