今日は、突然思い立って断捨離して、昔つけていた日記を全部捨てた、という日記です。


なんで忘れていたんだろう

思い付いたときにだけつけていた日記が、何冊か出てきました。
ずっと前に自分が考えていたことを後から知るのが面白くて、なかなか捨てられずにいたんですね。

その日記は、切絵童話作家としての人生を始める前、今よりだいぶ人生ハードモードだった頃につけていたもので、読み返してみると、なんだか胸がずーんと重くなりました。
すっかり忘れていたけれど、そういえばあんな嫌なこと、こんな悲しいことがあった…と次々よみがえってきたのです。
その時、「なんであんなに傷ついたのに、今までけろっと忘れてたんだろう!」と驚いたんですね。


忘れてもいいんじゃないかな、いま幸せなんだから

以前は、許せない事件、許せない人のことをしっかり胸に刻み、「この苦しみや憎しみをバネに突き進む、奴らを見返す、圧倒的優位に立つ、それが最良の復讐の道だ」という思いでいっぱいだったように思います(こわい)。

しかし最近では、そういう気持ちも和らぎ、「切り絵たのしー」「この人といてしあわせー」「ごはんうまー」「嫌なことはぽいちょー」と大分アホになって緩んできました。

日記とは、その当時の思いを結晶化させたものなので、読み返すと生々しい記憶がよみがえってくるものです。ですので、ページを繰っているうちに当時の復讐を誓う影織…もとい修羅織さんが出てきそうになりました。

でも、よく考えたら、心の傷がひりひりする生傷ではなく、ちゃんと癒えたから意識にのぼらなくなっていたんですよね。
つまり、いま幸せなんですよね。
それなのに、わざわざ治ったものをナイフでえぐるような真似をしてまで、思い出すようなことをしなくてもいいですよね。
だって、いま幸せなんだから。

そう気づいて、その傷をえぐるナイフのような日記は、もう手放そうという気持ちになりました。


捨ててもいいよ

とはいえ、
「本当に忘れちゃっていいの?比較対象としての苦しみを忘れたら、目の前のささやかな幸せをありがたいと思えなくなるかもしれないよ?」
「平和ボケしちゃって。忘れた後に次に同じような目に遭ったら、もう立ち直れないかもよ?」
「あの時自分が考えていたこと、後で見るのは楽しいじゃない。取っておこうよ」
…など、ぐるぐる思考が巡りました。

けれど、過去を忘れてしまったことによる心のダメージより、過去を思い出すことでの心のダメージの方がずっと大きいのではないかなと感じましたし、何より、過去にとらわれて重たく生きるのでなく、楽しいことを探して軽やかに生きたいな、と思ったのです。

それに、約2年前から思い出をこのブログにコツコツ書き溜めてきています。
楽しかった思い出は、たくさんの写真や感想と一緒に。
悲しかった思い出は、その時発見した対処法や乗り越え方と一緒に。
それを見ている方が、ずっとずっと健全で、前向きになれるような気がします。


まとめ

日記を捨て、棚も心もスペースが空いて、少し身軽になったようです。