何のために、私は"それ"をしているのか

たとえば
何のために創作しているのか、
何のために出来合いの総菜を買わないで自分で料理を作っているのか、
何のために人とコミュニケーションをとっているのか。

ひとつひとつが、究極的には自分がより幸せになるため、より楽しく過ごすための選択なのだと思う。

けれど、その選択のそもそもの理由を忘れて、苦しくなることがある。

努力して作ったものを人に認めてもらえず悔しい気持ちでいっぱいになったり、
食材の買い出しや調理や洗い物がいちいち面倒くさくてうんざりしたり、
お互いの価値観を理解できなくてぶつかり合いになり、不快になったり。

もともと何のためにそれをやろうとしたのか。
幸せを味わうためじゃないのか。

ものづくりの達成感や充実感を味わいたいから、
おいしいご飯を食べて満足したいから、
その人と楽しい時間を過ごしたいから、
そもそも始めたことなのに。

それをすることがただの苦痛ばかりになってしまうなら、"それ"をやめてもいい(ただ、いつも同じようなパターンで苦痛になっていってしまうのだとしたら、過去の古傷や自分の思い込みが原因のことが多いから、向き合ってみてもいいかもしれない)。

それをしていてつらいと感じるなら、そもそも幸せになるためにそれをやっているのだと思い出そう。
幸せな気分で過ごすために、
手放すこと、頑張りすぎないこと、頼ること、休むこと、緩めること、許すこと、笑うこと…
何が必要か、きっと見えてくるはず。


まとめ

何のためにそれをしているのか。
幸せになるためだ。