少しずつ元気が出てきたかな、と思っていたのですが、
会社の人との面談でも、誰かと話していても、「働くこと」、もっと言えば「自分が何か価値を生み出し、引き換えに何かをもらって生きていく手法」を考えると、
うーーーん…( ˘ω˘ )
とスリープモードに入ってしまうような感じです。
今日はそんな現状の原因や、今後の対策を覚書としてまとめておこうと思います。
超がんばる→条件付きゆるゆる→真のゆるゆる
思えばこれまで、「どれが最短で最善か」
「最も効率が良いのは何か」
「そのために身に着けるべきこと、打つべき手は何か」
などを全て全力で頭で考えながらやってきて、
逆に、
「からだの声を聞いて、やりたいことをする」
「いわゆる無駄な時間(ただただぼーっとする、とか)を過ごす」
「ゆったりして楽しむ」
ということが、できていませんでした。
最近になって、後者のゆるいモードを積極的に取り入れてきたつもりで、それさえも、
「やりたいことをする(ただし、それが仕事につながりうるように)」
「無駄な時間を過ごす(ただし、それをブログ記事や作品などの価値に転換できるように)」
「楽しむ(ただし、しっかり上達して、人から認められるように)」
「遊ぶ(ただし、やるべきことを全て終わらせた後、すきま時間で)」
という条件付きのものとしていると、改めて気付きました。
やりたいことをやっているはずなのに、楽しくて始めたはずのことなのに、義務感、責任感にとらわれてどんどん重くなっていく。それはおそらくこの条件付きのゆるさが原因だったのでしょう。
いまちょうど、真のゆるゆるに向かうための転換期に来ているようです。
真のゆるゆるのために
「てろてろと」「いまはゆっくり遊びましょう」
「例えば、波乗りしようとして雨が降ったら小屋で待つ、そんな風に、自然のように、ただ待つ感じで」
「今後のため、将来のためにすべき、と頭で考えてやろうとすることが出てきたら、危険信号と思った方がいいですね」などのアドバイス、天啓を受けました。
まさに。
てろてろと、いまここを生きること。
有用・効率・成長・上達・貢献…一旦全部やめる、をやる時が来たのだと思います。
まとめ、としての宣言(切絵童話作家の側面から)
やらないといけないから、やるべきだから、を一旦手放して、作品は作りたいから作るし、飽きたら休む。
作品は溢れてきたものを形にするし、アイデアが湧いてこないなら放置。
作品は見せたいから見せるし、見せたくないと思ったら見せない(あるいは、一部の見せたい人にだけちら見せ)。
仕事を受けたいから受けるし、つらいと思ったら休む。
コンクールやコンペに挑戦したいから挑戦するし、やりたくないなら今回はパスで。
繋がりたいから人と繋がるし、交流がしんどい時はじっと一人で穴ごもる。
SNSを見たいから見るし、見たくない時は目かスマホを閉じる。
フォロー・いいねしたいからするし、気が進まなかったら目かスマホを閉じる。
ブログは更新したいからするし、書く気が起きなかったら無駄に投稿画面を開かない。
創作はわくわくするからやるし、つらくてしんどいならフルハウスでも見て寝る。
発信は面白いからするし、つらくてしんどいならフルハウスでも見て寝る。(フルハウスいいよね)
頑張るのが楽しいから頑張るし、頑張るのつらいなら寝る。
さういふものに わたしはなりたい。
いつもいつも、それぞれの項目、前半部分ばっかり頑張り続けてました。
頑張る論理をやめようと思っていたのに、気付けば同じ論理を創作に持ち込んでいました。
やめよう。
やめてみてどうなっていくのか、見守ってみよう。
焦らずに。
そんなスタンスでいきます。
てろてろと、応援いただけたらなぁと思います。