自由の馬、という作品を作りました。

切り絵「自由の馬」

今回はいろいろと新しいことにチャレンジしてみた作品だったので、それを通じて学んだことをまとめたいと思います。


普段使わない配色表現をやってみた

私は、普段はパステルやアクリル絵の具で着色した紙を切り絵の色付けに使っています。
しかし今回は、既成の色和紙を彩色に使ってみました。

その中で、苦手だなぁと思って普段は使わない色をあえて使ってみたり、普段はこんな順番にしないよな、という並べ方で色を乗せたりしてみました。
また、なんとなく赤系、黄系、緑系、青系の色を順に並べてしまう、という傾向があったのですが、そのパターンを崩してチャレンジすることができたのもよかったです。

色和紙で作った馬の切り絵しっぽ
しっぽも、黒い紙を切るのでなく、色和紙を細切りにしてのりでくっつけました

この彩色から、2つのことに気づきました。


1)パターンを崩す怖さから面白さへ

いつもの決まったパターンをあえて崩すことには、抵抗があります。
今回も、着色開始時には、「うわ、こんな色の並べ方、普段しないから気持ち悪い」「この色、あまり好きじゃないのに」などと考えてしまい、いろいろ気持ち悪かったです。

しかし、着色を進めていくうちに、自分の予想を超えて面白い配色で切り絵が仕上がっていくのを見て、「もっともっといつもの自分を裏切って、もっともっと自由になってやるぜ」と面白くなってきたんですね。

作りながら、切り絵の着色に限らず人生も同様に、パターンを崩す怖さと面白さがあるな、と思いました。

いつもと同じ選択をすれば、安定して不安もなく、同じ毎日が続いていきます。
しかし、そこであえて違う選択、例えば普段なら絶対行かない場所に行ってみるとか、いつもやらないことをやってみるとか、それによってパターンを崩すことができます。

違う選択をする前、した直後、「これは私には合わない」「こんなの自分らしくない」と違和感を覚えるかもしれません。
しかし、その違和感をあえて受け入れて、いつもと違う選択をした結果をしっかり味わってみることで、「これもこれで面白い」「新鮮だ」「自由だ」という新たな気づきを得ることができるのではないかな、と思います。

もちろん、配色がちょっと変になってしまったな、と感じるように、普段やらないことをやってみたけれど結局合わなかったな、と感じることもあるかもしれません。
しかし、それで切り絵の全てがだめな作品になるわけではないのと同様、人生すべてがだめになるわけでもありません。むしろ、ちょっとしたスパイス、アクセントになるかもしれません。

そんなわけで、自分の予想をどんどん裏切るよう、怖い方へ、抵抗がある方へ、変化の方向へチャレンジしてみることの面白さを、今回の切り絵から学んだように思うのです。


2)誰かを頼ることで世界が広がる

自分はどちらかと言えば、こだわりが強い方です。
ですので、自分に本当にぴったり合うもの、しっくりくるものがなければ、既成のものを妥協で使うのでなく、自分で0から作ってしまいたいと考えるタイプです。
(それに、あるものを買うとお金がかかるから嫌だなと思うのもあります)
ですので、切り絵の色紙は、これまで自分で彩色していたんですね。

しかし、今回、引き出しの奥にしまっていた色和紙を見つけ、ずっと、使わないのももったいないから、と使ってみることにして、その良さに気づくことができました。

自分で色を作って塗れば、思う通りの色を使うことができます。
しかし、逆に言えば、自分が心地よいと感じる、いつも似たような配色、似たようなパターンの塗り方になってしまうんですね。
既成の色紙を使うことで、その枠を超えて、予想外に満足できる作品ができたのです。

普段の生活でも、「自分が満足できるものは、結局自分にしかわからない。他の人に頼んで不満足なものができるくらいなら、自分でやってしまおう」という気持ちが強くありました。

この考え方だと、確かに自分が100点満点で満足するものを用意できるでしょうし、30点クオリティの残念なものになるというリスクを減らせるかもしれません。
一方で、自分の予想を大幅に超える150点、200点のものを前に感動する、という可能性もつぶしてしまうことになるのだ、と気付きました。

そんなわけで、全てを自分でなんとかしようとするのでなく、他力をうまく活用することの大事さに気づくことができたように思います。


まとめ

新しい配色表現にチャレンジしたことで、パターンを崩すこと、身の回りのヒトやモノに頼ることで広がる世界の面白さに気づけました。
創作、人生とつながっていて本当に奥が深いです。