そこで、素敵な商品をたくさん見つけて、「わーすごいな…!素敵!」という感動と同時に、「あぁ、こういうものを自分でも作って見た方がいいのかも」という思いが出てきました。
商品に限らず、たとえば世に出ているアプリやゲームを見たり、美しいアート作品を見たりしても、「こういうの、自分でも取り入れてみて、さらに自分の表現の幅を広げないとな」という気持ちを持つことが、自分にはよくありました。
しかしふと、(すごく当たり前の話かもしれませんが)すごいなぁと思うものを全部自分の中に取り込まなくてもいいんだ、ということに気づいたので、今日はそんなお話をします。
向上心?
世の中にある面白い作品、商品、サービスを見ていると、自分も作り手として、こんな風にいいものをもっと作りたい、もっと面白いものが作れるんじゃないか、という気持ちが湧いてきます。自分の場合、誰かが作ったものを見て素敵だなと思ったら、必ず取り入れて何かしらモノにしないと!という妙なハングリー精神があることに気づきました。
よくばりさんです。
立派な向上心ではあるのですが、自分が作ったものを楽しんでもらえたらいいなぁという気持ちに、人によく思われたい、すごいと言われたい、そのためにあれもこれも取り入れてみよう、という背伸びが入っていたことで、こんなにハングリーだったのかな、と思います。
また、せっかく何かを作っても、自分の作ったものは足りないもの、と現状否定を繰り返してしまうことにもなるので、「じゃあいつまで頑張り続けるんだよ!」とも言いたくなってしまいます。
これじゃあ、疲れてしまいますね。
作りたい、の根本にあるのは好奇心か恐れか
好奇心ベースで「あれすごーい!どうやって作るのかな?」とわくわくしながらものづくりするのはとてもいいことだと思います。何より自分が楽しいですし、好奇心の力で試行錯誤を繰り返すと、自然と技術力も上がります。一方で、自分に何かさらに価値を付け加えなきゃいけない、より良いものを作るべき、という、焦りや不安、恐れや強迫観念めいたものから何か作るのは、作っている最中も気分が下がりますし、出来上がっても結局満足感が薄いように思います。
頑張って頑張って成長しよう、技術をとりこもう…それで少し疲れてしまっている人は、自分の行動ベースが好奇心か恐れか、一度問い直してみるとよいでしょう。
必ずしも成長しなければならないなんてことない
あれもこれもできるようにならないと、自分でやらないと、成長しないと。そんな思いが強かったら、一旦全て手放してみるのがよいです。
自分の作るものに何かを足そうとするのをやめて、シンプルなものを作ってみるとか。
これまで自分の造ってきたものを見て、「すごーい!」と自分で褒めるとか。
人のものを見て感じた「すごーい」から、何か必ず学び取らなくてはいけない、と考えるのをやめて、ただ「すごーい」と楽しむとか。
よりよくあろうとしなくても、今の状態もいいよね~と口に出してみるとか。
そもそも「常に向上すべき」「克己」とかいう言葉をモットーとして、己の心の床の間にどんと飾っている自分に気づくだけでも、結構変わります。
どうして、そんなに成長しないといけないのでしょう。
自分はダメだから、もっと外から持ってきた価値を身にまとって、強く素晴らしくならないといけない、と考えたからかもしれません。
誰かに馬鹿にされて、価値を身に着けることで、自分の正当性を主張したかったのかもしれません。
いずれにせよ、そのままの自分ではダメと思い込んで、外側の価値で武装しようと決めたのでしょう。
本当は、そのままの自分がダメ、なんてことないんですよね。
そのままで、いいんです。
そのままで、自分の味が自然に出るんです。
だからもう少し柔軟に、「成長したかったらする」「成長しなくても別にいい」を取り入れられると、楽になるんじゃないかなぁと思います。
まとめ
自分が思った以上にハングリーで、「日々、よりよい自分になる!」「昨日の己を超えてみせる!」と日々そして、その思考がじわじわと自分を追い込んでいたことにも気づきました。
まったく、とんだ一人劇場です。
ということで、もっとゆったり構えて創作していけたらいいなぁと思いました。