おしまいってさみしい

個展最終日の夕方、私はしょんぼりしていました。
終わりが来るのがさみしかったからです。
あと1時間、あと30分で終わり、と楽しい時間の終わりの宣告が近づいているようで、時計を見たくないなぁと思うくらいでした。

ですが、ついにその終了時間が来て、一人で搬出作業をしているうちに、だんだん心が落ち着いてきて、終わりを受け入れられたんですよね。
ということで、今日は前向きに終わりを受け止めるための心のお話です。

体を動かし、能動的に区切りをつける

別れや終わりは、たとえ小さなものであれさびしいです。
まだ終わりたくないとぐずぐずしてしまいたくなることがよくあります。
ですが、終わり、と区切りをつけるための行動をすることで、名残惜しい気持ちが和らぎます。

例えば、家に遊びに来ていた友人や恋人が帰る時、駅まで見送りに行くとか。
楽しかった旅行が終わって家に帰ってきた時、すぐ荷解きをするとか。
個展が終わった時、ひとつひとつ作品を丁寧に搬出するとか。
楽しかった記憶をたどりながら、終わりに向けて行動することで、「あ、これで終わりなんだな」というのをすとんと体で実感することができ、スムーズに受け入れやすくなります。

卒業式や退官パーティなども、「名残惜しいけれども、これで終わりです!」という、ひとつの区切りをつけるための行為なのでしょう。
このブログ記事を書いたのも同じですね。おしまいの区切りをつけるための行動の一つです。

一人になってさみしさをじっくり味わう

終わってしまうさみしさをじっくり味わうことも、終わりに向き合う時に大事なことです。
時に、本当に悲しくて辛くてどうしようもない終わりもあって、「じっくり味わおう」なんて言っている余裕がない時もあるかもしれません。
ですが、それでもその辛さに蓋をせず、さみしいという気持ちが心の中にひたひたと溢れて「あぁ」とため息が出る、その感じを味わった方がいい、と思います。

さみしさを味わう時は、一人でいられる安全な場所を選びましょう(一目があると、我慢しがちですからね)。涙を流しても、ぶつぶつもごもご呟いてもよいのです。
落ち込んでいる自分の友達になったつもりで、「いま、さみしいんだねぇ、そうだねぇ」と寄り添って座るイメージが結構効果的です。

我慢しないでとことん味わった後、終わりを受け入れ、これから待つまだ見ぬ機会に目を向けられる自分がいることに気づきます。

さみしがることは弱くて恥ずかしいことじゃないので(むしろ、さみしいことをさみしいと受け止められる強さと思います)、安心してさみしさを味わいましょう。

まとめ

終わりは悲しいです。
ですが、区切りをつけるために動きつつ、さみしさが湧いてきたらじっくり向き合う、その時間を取れば、必ずそれを受け入れられます。

そうしてまた元気が湧いてきたら、ゆっくり歩きだしましょう。