「本当にやりたいことならもうやってる」?
「○○をしてみたいけど、なかなか始められなくって」「○○をやりたいんだけど、最近できてなくって」
という意見に対し、
「それが本当にやりたいことだとしたら、先延ばしにせずもうやってるはずだと思う」
「やってないということは、別にやりたくないんじゃない」
という辛口コメントが返ってくることがあります。
私の場合、小説の執筆から離れていた時期に、「作家になりたいけれど、最近なかなか書けていない」と話したら、まさにこのようなことを人に言われました。
それに対して、「そんなことない!本当は好きだけど、なんだか書けないんだ」と反発の気持ちを覚えつつ、「そうか…やっていないということは、好きじゃないのか」「本当にやりたいことではないのか」とがっかりし、創作からさらに遠ざかってしまったんですよね。
好きならもうやってるはず。
やっていないことは、やりたくないこと。
たしかにそうかもしれません。
でも、挑戦したいけれどブレーキがかかって出来ない、という状況はあるのでは、と思います。今日はそのことを考えてみましょう。
抵抗感の原因
創作活動を例に話してみます。自分の思考を振り返ると、以下のような抵抗感がありました。
1) 自分の意見や考えを表現したら、周囲に馬鹿にされるのではないか、批判されつまはじきにされるのではないかという恐れ
2) 表現することで相手を傷つけたり、揺さぶったりしてしまうのではないか、自分が変わってしまったり、めちゃくちゃになったりしてしまうのではないか、というような不安(これはどちらかというと潜在的なもの)
3) 人と比べて自分に才能がない、劣っているという思いに根差す、「才能がないならやるだけ無駄」「もっとうまい人がいるなら、自分が創作する意味はない」「そんなことよりもっと大事な仕事/勉強しなきゃ」というあきらめの気持ち
どれも、以前たくさん感じた抵抗感です。
こんな気持ちにとらわれて、創作に取り組むのが怖い場合の考え方をそれぞれお話ししましょう。
ブレーキがかかっている人へ
1) 「自分の思うままに生きてても大丈夫」を見つけよう
創作活動に妙な心理的ブレーキがかかる時、たいてい他の部分でもブレーキがかかっています。親や恋人の顔色を伺っていたり、人の目を気にして自由にふるまえないでいたり。
創作以前に、自分の意見や気持ちを押し殺して、人に伝えることが困難なのです。
だからまず、
嫌なことを嫌と言ってみるとか、
好きなことを徹底的に好きにやるとか、
残業したくなかったら帰るとか、
人に会いたくなかったら会いたくないと言うとか、
食べたいものを思いっきり味わって食べるとか、
日々の生活の中で、小さくとも自分の意見を表明するところから始めてみましょう。
少しずつ、世界が怖くなくなっていくと思います。
そうして自分の意見を表現する下地ができてくると、創作への抵抗がなくなると思います。
最初は、自分の中で、自分の心行くままに作る過程を楽しんで、誰かに見せない方がいいかなと思います。
心無い言葉をかけられ(たとえその人に悪意がなくとも)、せっかく芽を出した創作の心がずたずたになることもあるので、最初に見せる場合は人選に注意です。
2)それ強みかもよ
自分の作品が何かしら影響を与えてしまう気がする、人をざわざわさせてしまう気がする、自分がざわざわしてしまう、という場合、それはもう立派に強みなのではないでしょうか。むしろ喜ぶべきことです。強みなのだから隠さずに、人を、自分を、揺さぶりましょう。
それで顔をしかめる人がいるかもしれませんが、あなたの作品を待ち望み、喜んで受け取る人が必ずいます。
それでも周囲の反応が気になってそわそわしてしまう人は、1)の「大丈夫」を見つけましょう。
3) 楽しいことが創作の本質
創作は、才能がある人だけするもの、というわけではないです。
創作は作品への評価を喜ぶものでなく、作るプロセスを楽しむものです。
才能がなくたって、下手だって、楽しんで作ればいいのです。
創作は作品への評価を喜ぶものでなく、作るプロセスを楽しむものです。
才能がなくたって、下手だって、楽しんで作ればいいのです。
ああでもないこうでもないと思いをめぐらせたり、試行錯誤したり、完成したときの達成感を味わうことが創作の楽しみであり、本質なんじゃないかなと思います。
以前は、「"価値"を生み出さねば生きていてはならない」というような強迫観念を覚えながら生きていたので、創作するからには価値あるもの(≒人に評価されるもの、人から価値あると認められるもの)を生み出さねば、という思いが強くありました。
その思考がベースにあることで、創作より勉強や仕事をして目に見える成果を出さねばと思ったり、素敵な作品を作る人を前にして、「自分は下手で才能がない、作品を通じてこんな価値を生み出せないなら作る意味がない」と考えたりしていたんですね。
でも、作ることに没頭することが楽しい、という体験を繰り返し、だんだん創作はプロセスを楽しむということがわかってきたのです。
また、環境や人間関係の変化で、「自分は価値を生み出さなくてもここにいていい、生きていていい」という実感を少しずつ持てるようになったので、「価値」への過度なこだわりを捨てられたのも良かったのかなと思います。
これも結局、1)の大丈夫を増やすのが大事、という話につながりますね。
以前は、「"価値"を生み出さねば生きていてはならない」というような強迫観念を覚えながら生きていたので、創作するからには価値あるもの(≒人に評価されるもの、人から価値あると認められるもの)を生み出さねば、という思いが強くありました。
その思考がベースにあることで、創作より勉強や仕事をして目に見える成果を出さねばと思ったり、素敵な作品を作る人を前にして、「自分は下手で才能がない、作品を通じてこんな価値を生み出せないなら作る意味がない」と考えたりしていたんですね。
でも、作ることに没頭することが楽しい、という体験を繰り返し、だんだん創作はプロセスを楽しむということがわかってきたのです。
また、環境や人間関係の変化で、「自分は価値を生み出さなくてもここにいていい、生きていていい」という実感を少しずつ持てるようになったので、「価値」への過度なこだわりを捨てられたのも良かったのかなと思います。
これも結局、1)の大丈夫を増やすのが大事、という話につながりますね。
まとめ
結論としては、自分が自分でいて大丈夫だという安心感を育てることが、抵抗感を減らすための根源にあるのかな、と思います。
やりたいけどできない、の一歩を踏み出すのは、高いところから飛び降りるような怖さがあるものです。
大丈夫、という安心感があることで、着地点のクッションのような役割を果たしてくれるので、安心して飛び出せるのではないかなと思います。